2011年01月28日

有名人の若い頃

■美輪明宏
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■デヴィ夫人
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■吉永小百合
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■加賀まりこ
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■ピーター
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■扇千景
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■麻生太郎
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■押井守
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■磯野貴理
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■鳥肌実
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鳥肌さんは有名人じゃないかも……。
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2011年01月24日

世界の権力者像

それぞれ、私の個人的なイメージをあらわしてそうものを選びました。

■胡錦濤国家主席(中華人民共和国)
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本当は怖いんだけれども、表面的にうまく隠してる感じ。

■馬英九総統(台湾)
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良くも悪くもアメリカンな人。

■李明博大統領(大韓民国)
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別にアホだと思っているわけではなく、韓国人的な「わかりやすい明るさ」という意味です。

■オバマ大統領(アメリカ合衆国)
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周囲とも事前に打ち合わせる、自己演出のしっかりした人。

■サルコジ大統領(フランス)、メルケル首相(ドイツ)
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権謀術数的な。

■エリザベス女王、キャメロン首相(イギリス)
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あまりイメージがない。

■ベルルスコーニ大統領(イタリア)
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マフィア映画から出てきた感じ。

■ベネディクト16世(ローマ法王)
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たぶんいい人なんだけど、ちょっと迫力がありすぎる。

■シン首相(インド)
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学者肌で、達観してそう。でもさらっと策謀はこなす。

■ジルマ・ルセフ大統領(ブラジル)
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写真にはいないが、後ろで夫がニコニコしてそう。

■メドベージェフ大統領(ロシア連邦)
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この人はいつも「えーっと」と考え込んでるイメージがある。

■プーチン首相(ロシア連邦)
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この人だけ「撮影されセンス」が他を超越してますね。
どれも映画のワンシーンみたいになってる。

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きつい冗談の好きなロシア人にふさわしく、
絶対この人、スパイのセルフパロディをやってると思う(プーチンはKGB時代、諜報活動をやってた)。

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おまけ
■菅直人首相(日本)
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2011年01月13日

映画で観る第一次大戦(2)

前回は「第一次大戦のロマン」を描いた作品を集めたのですが、今回は現実的というか、シリアスなものを。

前回:映画で観る第一次大戦(1)


■西部戦線異常なし
<内容>
映画史に残るアメリカ戦争映画の名作。第1次大戦がはじまってまもない、ドイツのある町。群衆の歓声に送られて、戦場へ向かう大部隊が進軍してゆく。学校
の教室では、老教師が生徒に愛国心を説いていた。情熱に駆り立てられた若者たちは、ただちに出征を志願するが、前線は飢えと死の恐怖だけの毎日だった……。数度に渡って繰り広げられる戦闘シーン、全編を貫く戦争批判とヒューマニズム、本作はその迫力とスケールの大きさからいってまさに歴史に残る戦争映画の名作である。(原文

第一次大戦といえばこれ。
この時代というのは、国民が良くも悪くも国家と自分を重ね合わせていました。
ですから開戦となれば、多くの若者が自ら率先して志願し、戦場に赴いたわけです。
しかしあまりに悲惨で、しかもそれが報われない現実を前にして、一体誰のために戦っているのか、そしてなぜ国のために死なねばならないのか判らなくなっていきます。
まさに戦争映画のスタンダードたる傑作だと思います。


■A Time Of War 戦場の十字架
<内容>
時は第一次世界大戦の最中。フランスの戦場で体と心に傷を負いカルガリーへ戻ってきたマイケル・ダン軍曹は陸軍病院で従軍看護師のサラ・マンと出会う。
二人はやがて恋に落ちるのだが、サラの弟デヴィッドは彼らの父親の裏切り行為の名誉を晴らすため、喘息持ちであることを隠して兵隊に志願してしまう…。

第3次イープル会戦(パッシェンデールの戦い。1917年7月〜11月)が舞台。
ベルギーのパッシェンデール村は埋め立てられた沼沢地で、さらに準備砲撃と大雨によって戦場が通行不能な底なし沼となり、大戦有数の過酷な戦場となりました。


■愛と裏切りの戦場 〜アルプスの勇士たち〜
<内容>
1917年、イタリアは敵国オーストリア=ハンガリー帝国と熾烈な戦闘を繰り広げていた。
そんな中、上官や部下を失い意気消沈するイタリア軍のパッリ軍曹と、従軍看護師として戦地へ赴いた伯爵令嬢アルベルティーナは運命の出会いをはたす。身分違いの愛を交わす2人。
しかし、パッリの上官であるアヴォガドロ大尉もまたアルベルティーナを我が物にしようと画策していた。やがて戦況は激しさを増し、敵軍の攻勢によって陣地撤退を余儀なくされる。
形勢逆転を模索するイタリア軍に対し、パッリは敵陣拠点への一斉攻撃に際して地下にトンネルを掘り、一気に攻め入る作戦を提案する。敵陣攻略に向けてトンネル掘削作業は順調に進み、いよいよ敵基地に潜入したパッリたちに思いがけぬ事態が待ち受けていた!(原文

イタリアは元々ドイツ・オーストリアと三国同盟を結んでいました。
しかしトリエステ=フィウメ地区の領土問題で仲違いし、大戦でイタリアは連合黒側にたって参戦しています。
両軍の戦いは主に「アルプス戦線」と呼ばれ、カポレットーでイタリアは完敗するんですけど、最終的には二重帝国側が降伏して決着しています。


■ザ・トレンチ<塹壕>
<内容>
第一次大戦中に起こった、20世紀最大の愚行と呼ばれる〈ソンムの戦い〉。本作は、2日間で6万人の命を奪ったこの悲劇の前夜48時間を、戦闘に参加した青年兵士たちの眼を通して描いた、感動のヒューマン・ドラマである。(原文

「ロング・エンゲージメント」で取り上げていた「ソンムの戦い」(1916年7月1日〜11月19日)をじっくり描いた作品。
日露戦争の旅順攻城戦で、日本軍は7ヶ月間に死傷者6万人を出します。
しかしソンム戦のイギリス軍は、たった1日で2万人の死者を出しました。しかも7月に亡くなった遺体を11月まで回収できなかったというくらいの激戦でした。


■マイ・ボーイ・ジャック
<内容>
激戦続く第一次世界大戦。17歳の青年ジャック(ダニエル・ラドクリフ)は、英国将校として部隊を率いて西部戦線へと出征する。厳格だが優しい父と、彼に無限の愛情を注ぐ母との幸せな家庭で育った彼は、環境が全く異なる毒ガスと銃弾飛び交う戦場で地獄を体験する。ある朝、突撃ラッパが鳴り響く中、彼の中隊に突撃命令が下る。数時間の激闘が終わり兵士たちは次々と傷つきながら塹壕へと引き上げてくるが、そこにジャックの姿はなかった…。(原文

ジャケットにも見える、口ひげにメガネの青年がダニエル・ラドクリフです。
ちなみに彼は、2012年よりクランクイン予定の「西部戦線異状なし」リメイク版に主演するそうです。


■ジョニーは戦場に行った
<内容>
戦場で両手、両足、耳、眼、口を失い、第1次世界大戦が終わってから15年近く生き続けたイギリス将校が実在したという事実をヒントに、ダルトン・トランボが1939年に発表した小説「ジョニーは銃をとった」を、トランボ自ら脚本・監督した反戦映画。なお1971年カンヌ映画祭審査員特別賞、日本でも72 年度芸術祭大賞を受賞した。(原文

最後はこれ。超重量級の重い作品。
以前イギリスで「落ち込む映画ランキング」というのがあって、ジョニーが入ってなくてびっくりしたんだが、本当に気の滅入る作品です。
トランボといえば、「ローマの休日」の脚本(制作当時は色々あって覆面作家)でも有名。
ローマの休日についてはこちらを
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2011年01月12日

映画で観る第一次大戦(1)

チャーチルは、第一次大戦(1914〜1917)についてこう言いました。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった」
それらがとっくに消滅していたのであれば、こんなことは言わないわけです。

以下を観ていただければわかると思うのですが、第二次大戦と違ってどこか、映画の作り手にとってロマンをかきたてるものがあるのだと思います。

■戦場のアリア
<内容>
1914年、第一次世界大戦下のフランス北部。そこはフランス・イギリス・ドイツ軍がそれぞれ攻撃しあう泥沼の戦場と化していた。
兵士として戦場にいるテノール歌手の夫に会いたい歌手のアナ(ダイアン・クルーガー)は、あらゆる手を尽くして夫のいる最前線の戦場まで会いに行き、そこで自国・敵国の兵士達のためにアリアを歌う。
そしてクリスマスイブの夜に奇跡が起こる。

1914年12月23日頃、ヨーロッパ西部戦線で実際に起こった「クリスマス休戦」(ほぼ全戦線で攻撃が停止され、無人地帯中央で将校・兵士による交歓会が行われた)を描く。


■バルトの楽園
<内容>
第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所が舞台で収容所所長・松江豊寿(松平健)の活躍や、俘虜となったドイツ兵と地元の住民の交流などを描いた作品。
松江は俘虜に対し人道的な扱いを心がけ、俘虜による楽団が『交響曲第9番 歓喜の歌』を日本で初めて演奏した。


■ロング・エンゲージメント
<内容>
軍法会議で死刑を宣告された5人の兵士は、敵との中間地帯に放り出される。
その兵士の1人にマチルダ(オドレイ・トトゥ)が愛する恋人・マネク(ギャスパー・ウリエル)が含まれていた。
5人の兵士は死んだとされているが、マチルダはマネクの消息を追う。

恋人が戦死したとされるのは、フランス北部での「ソンムの戦い」(1916年7月1日〜11月19日)。
全体で100万人以上という大損害を出して、連合軍がわずか数キロ前進できたのみという、まさに地獄のような塹壕戦となった。


■アラビアのロレンス
<内容>
実在のイギリス陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描く。

パレスチナ戦線における、イギリス陸軍情報部員であるロレンスによる敵トルコ軍への妨害工作。
普通に戦時国際法違反ではある。


■フライボーイズ
<内容>
外人部隊としてフランス空軍に志願入隊し、ドイツ軍と戦ったアメリカ人の若者たちがいた。
彼らの所属した実在の中隊「ラファイエット戦闘機隊」の実話に基づき、彼らの苦悩と友情、そして「最後の騎士道」「大空の決闘」であった時代の空中戦を、総製作費70億円の巨費を掛けた実写アクションと、CGを駆使したVFXで描く。


■レッド・バロン
<内容>

第一次大戦のドイツ空軍の英雄、レッド・バロンと異名をとった、マンフレッド・フォン・リヒトホーフェンの半生を描いた空戦ドラマ。撃墜王として恐れられた華々しい経歴から、彼が死を迎えるまでを描く。(原文


リヒトホーフェンは「赤い男爵(レッドバロン)」と呼ばれ、英雄視されたパイロットです。

なぜ赤い男爵かというと、機体を真っ赤に塗っていたからですね。

80機もの撃墜記録をもっていましたが、1918年4月に戦死。墜落した遺体は敵のイギリス軍に回収され、栄誉礼をもって葬られました。
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2011年01月05日

BS-Hi「ローマ皇帝の歩いた道」

久しぶりにテレビを観た。


NHKのBSハイビジョンで「ローマ皇帝の歩いた道」っつうのをやってたんだが、気づくのが遅くて後編の後半しか観ることができなかった。

案内人が青柳正規氏。

本は数冊持ってるがどんな人かは知らなかったので、それが判ったという意味でも観て良かった。


そこでは五賢帝の1人でもあるトラヤヌスが拡張した新領土ダキア(ルーマニア)を、次代のハドリアヌスが放棄せざるを得なくなった事情について解説していた。

帝国全土より最新情報を得ているハドリアヌスと違い、拡張こそ繁栄という思想から逃れられない元老院。

その情報格差が対立を呼んだ、という話だった。


ダキアというのはローマから見ると、ドナウ川を越えた北側に位置する土地である。

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「ラテン語からフランス語へ」より(http://park1.aeonnet.ne.jp/~memoria/lingua/provincia.html

【ローマより北東、モエシア、ダルマティアより、ドナウ川で区切られた北部にあるのがダキア。】


ドナウは大きいところで川幅が1キロを超える大河であって、トラヤヌスはこれを越えるために橋を建設する大工事を行っている。

トラヤヌスのダキア戦役は2度あり、最初が紀元101年。

まず崖をくりぬいて道を造り、橋(二段構造の重厚なもの)を建造し、兵站を整えてから3倍の兵力で敵をすりつぶした。

それでも反撃してきたダキア族に対し、第2次戦役(紀元105年)では15万という大軍をもってあたった。

捕虜5万は剣闘士として殺し、残りは奴隷にする、残った民衆は北方に追放するという過酷さで、後に「ルーマニア(ローマ人の土地)」と名付けられたのは伊達ではない。

そして手に入れた新領土には、金鉱山があった。


元老院にしてみれば、そういう過去の経緯がある。

そこまでして手に入れ、また金の採れる土地をなぜ放棄せねばならんのかという理屈である。

しかし以前はドナウという自然の要害に任せていた国境が、地続きとなったために数万もの兵を駐屯させて警備せねばならぬ。

その費用は、金鉱山を持ってしても割に合わない。それがハドリアヌスの考えだった。

で、歴代皇帝を顕彰する様々なモニュメントのあるローマであるのに、ハドリアヌスを称えるそれはない、というのが番組の結論であった。



ただ解せないのは、番組タイトルである。

ハドリアヌスは確かに有名だが、歴代皇帝としてはかなり早い位置にある。

番組はまるでハドリアヌスのすぐ後に帝国崩壊したかのような演出で、なんだかなーという感じであった。


もし「徳川将軍の歩いた道」という番組を作ったとして、それが綱吉あたりで終わるとしたら違和感がないだろうか。



青柳氏の本の中では、まずこのあたりが良いと思います。


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2011年01月03日

第一次世界大戦(ヨーロッパ陸戦)の推移

第一次世界大戦の推移(作りかけ)

1914年8月4日〜8月27日
■中立への侵犯(ドイツ VS. ベルギー)
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4日午前8時、ドイツ軍はゲメリッヒから国境を突破、欧州大戦の開始。
27日、ドイツ軍は全戦線でフランスへ到達した。

1914年8月後半
■フロンティアの戦い(ドイツ VS. フランス)
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ドイツ軍はフランス北部に到達。待ち受けていたフランス軍&イギリス海外派遣軍との間で戦いが始まる。
フランス側は後退を余儀なくされる。

1914年9月5日〜12日
■マルヌ会戦(ドイツ VS. フランス・イギリス)
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フランス軍(ジョセフ・ジョフル)、主力をマルヌ川南方線に後退させ、河畔でドイツ軍へ反撃(ヴェルダン西方からパリ北方に至る約280km)。
ドイツ軍はパリ西方へ回り込むことができず、11日にはエーヌ川まで撤退。ドイツの短期決戦案「シュリーフェン計画」はここで挫折する。

1914年8月17日〜9月2日
■タンネンベルグの戦い(ドイツ VS. ロシア)
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ロシア第1軍(パーヴェル・レネンカンプ)、東プロイセンに侵入。
ドイツ参謀本部は第8軍司令官(マクシミリアン・フォン・プリトヴィッツ)を解任。新司令官にパウル・フォン・ヒンデンブルクが就く。
フランソワ大将の独断専行による補給断絶作戦により、ロシア第2軍(アレクサンドル・サムソノフ)が壊滅。ロシア第1軍撤退によりドイツ勝利。

1914年9月2日〜24日
■ガリシアの戦い(ドイツ・オーストリア VS. ロシア)
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オーストリア第3軍およびケーベス兵団、ロシア第3軍および第8軍が遭遇。オーストリアはガリシア首府レンベルクを放棄して漸次西方へ退却。
オーストリア軍はセルビア戦線より軍団を補充して、8日リヴィウ方面で攻勢開始。
しかしロシア軍はこれを返り討ちにして追撃。オーストリア軍は兵5万を残したままプシェミシル要塞に籠城。
ロシアは要塞を包囲するも、ドイツ軍のポーランド集中を知って転進する。



残り
■東部戦線
1915年 マズール湖の戦い
      プシェミシル要塞戦
      ゴルリッツ突破作戦
1916年 ロシア軍大攻勢
      ルーマニア参戦
1917年 3月革命
      ケレンスキー攻勢
      リガ攻勢
      アルビオン作戦
      10月革命
西部戦線
イタリア戦線
中東戦線
アジア太平洋戦線
アフリカ戦線
ルーマニア戦線
テッサロニキ戦線
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2010年08月03日

趣味としてのファラオ

自分でもおかしなことをやってるとは思うのですが、私は自分しか見ないにもかかわらず、
昔からファイルメーカーで↓こんなものを作っています。

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つまり王名表、といった感じのデータベースを作るのが趣味なわけです。
現在で8400名ほど収録していて、まだ全然終わってません。

その中で一番古いもの、歴代王名が残っている最古の王朝は何だろうと考えてみると、
やはり紀元前3000年、現在から見て5000年以上前という、エジプトのファラオが最古のようです。
(中国の「夏」で紀元前2070年ごろ)

もしかしてもしかしたら誰かの役には立つかも知れないと思い、関連書籍とともにエクスポートしておきます。
(書籍は小説・コミックのみ。専門書ならべてもしょうがないと思うので)



■第1王朝(先王朝)紀元前3100年頃

01    ナルメル(さそり王)
02    ホル・アハ(メネス?)
03    ジェル(アトティス、アトティ)
04    ジェト
05    デン
06    アネジブ
07    セメルケト
08    カア(ビエネケス?)

■第2王朝(先王朝)
09    ヘテプセケメイ
10    ラネブ
11    ニネチェル
12    ウェネグ
13    セネド
14    セケムイブ(セト・ペルイブセン)
15    カセケムイ

■第3王朝(古王国)紀元前2600年頃

01    サナクト
02    ジェセル
03    セケムケト
04    カーバー
05    フニ

■第4王朝(古王国)

06    スネフェル(ソリス)
07    クフ(ケオプス)
08    ジェドエフラー
09    カフラー
10    メンカウラー
11    シェプスセスカフ
12    ジェフェフプタハ

高野 史緒 (5)
5今回は音楽はなしですね
5僕も時間跳躍したいなぁ
4高野史緒先生ファンより
4古代エジプトを楽しむ本
3正統派だが本領ではない
ピラミッドの謎に魅せられ、その生涯を“タイムマシン”の開発に費やした現代人ジェディは、紀元前2624年への時間跳躍に成功する。だが、クフ王の治世下にあるエジプトで彼が目にしたのは、建造途上にあるはずのピラミッドが発掘されている現場だった。なぜかジェディを崇拝する監督官のメトフェルもまた、その秘密については固く口を閉ざす。ピラミッドとは何か?その目的とは?―帰還期限が迫るなか煩悶するジェディは、ついにクフ王その人への謁見の機会を得るが…。


■第5王朝(古王国)
13    ウセルカフ
14    サフラー
15    ネフェルイルカラー
16    シェプセスカラー
17    ネフェルエフラー
18    ニウセルラー
19    メンカウホル
20    ジェドカラー
21    ウナス

■第6王朝(古王国)
22    テティ
23    ウセルカラー
24    ペピ1世
25    メルエンラー1世
26    ペピ2世
27    メルエンラー2世
28    ニトクリス(女王)

■第7王朝(第一中間期)紀元前2100年頃

01    ネフェルカラー1世
02    ネフェルカラー・ネビ
03    ジェドカラー・シェマイ
04    ネフェルカラー・ケンドゥイ
05    メレンホル
06    スネフェルカー
07    ニカラー

■第8王朝(第一中間期)
08    ネフェルカラー・テレル
09    ネフェルカホル
10    ウアジカラー
11    スネフェルカー・アヌ
12    カカラー・イビィ
13    ネフェルカウラー
14    ネフェルカァホル
15    ネフェルイルカーラー

■第9・10王朝(第一中間期)
16    メリィブラー(ケティ1世)
17    メリカラー(ネフェルカラー)
18    カーネフェルウラー(ワァフカーラー)
19    ネブカウラー(メリカーラー)

■第11王朝(中王国)紀元前2000年頃
01    メンチュヘテプ1世
02    アンテフ1世
03    アンテフ2世
04    アンテフ3世
05    メンチュヘテプ2世
06    メンチュヘテプ3世
07    メンチュヘテプ4世

■第12王朝(中王国)
08    アメンエムハト1世
09    センウセレト1世
10    アメンエムハト2世
11    センウセレト2世
12    センウセレト3世
13    アメンエムハト3世
14    アメンエムハト4世
15    セベクネフェル(女王)

■第13王朝(第二中間期)紀元前1600年頃

01    ウガエフ
02    アメニ・アンテフ4世
03    ホル
04    セベクヘテプ2世
05    ケンジェル
06    セベクヘテプ3世
07    ネフェルヘテプ1世
08    セベクヘテプ4世
09    アイ
10    ネフェルヘテプ2世

■第14王朝(第二中間期)
11    ネヘシ

■第15王朝(第二中間期)
12    シェシ
13    ヤコブヘル
14    キアン
15    アペピ1世
16    アペピ2世

■第16王朝(第二中間期)
18    アナト・ヘル
19    ウセル・アナト
20    セムケン
21    ザケト
22    ワサ
23    カー
24    ペピ3世
25    ビアンク
26    ネブマートラー
27    ニカラー2世
28    アーヘテプラー
29    ヌバンカラー
30    ヌブセルラー
31    カウセルラー
32    ヤコブ・バール
33    ヤクバル(セクカエンラー?)
34    ヨアム
35    アム

■第17王朝(新王国)紀元前1500年頃

01    ラーヘテプ
02    セベクエムサフ1世
03    アンテフ6世
04    アンテフ7世
05    アンテフ8世
06    セベクエムサフ2世
07    サナクトエンラー・タア1世
08    セケエンラー・タア2世
09    カーメス

『闇の帝国』『二つの王冠』『燃えあがる剣』
今日まで保存され、カイロ博物館に展示されている第十七王朝のファラオ、セケン=エン=ラーのミイラ。鼻は無残にも砕かれ、後頭部が大きく陥没したそのミイラは、壮絶な死を今に伝えている。いったい、ファラオに何が起こったのか―。物語の魔術師、ラムセス・シリーズのクリスチャン・ジャックが時空を超え、紀元前一六九〇年、ヒクソスの騎馬軍隊によって支配されたエジプトを舞台に最後に残された自由の地、テーベを守るために立ちあがった十八歳の王女、アアヘテプの活躍を生き生きと描き出す。


■第18王朝(新王国)

10    イアフメス1世(ネブペフティラー)
11    アメンホテプ1世(ジェセルカラー)
12    トトメス1世(アーケペルカラー)
13    トトメス2世(アーケペルエンラー)
14    ハトシェプスト(女王、マアトカラー)
15    トトメス3世(メンケペルラー)
16    アメンホテプ2世(アーケペルウラー)
17    トトメス4世(メンケペルウラー)
18    アメンホテプ3世(ネブマアトラー)
19    アメンホテプ4世(アクエンアテン、イクナートン)
20    スメンクカーラー
21    ツタンカーメン
22    アイ(ケプルケプルウラー)
23    ホルエムヘブ

 
山岸 凉子 (2)
5女になんかなりたくない
4動機
古代エジプト王朝唯一の女帝としか耳にしたことの無いハトシェプスト。彼女がなぜ、没後に全ての名前を削られるほど憎まれてまでファラオの座に執着したのか。

アガサ クリスティー, Agatha Christie, 中村 妙子 (4)
5なんのために書かれたのか
5アクナーテン改革の一解釈
4あっと間に読める。エジプト好き向きです!
4アマルナ・ミステリー
古代エジプト第十八王朝の王アメンヘテプ四世(アクナーテン)は、勢力を増すアメン神の神官団排除のため、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行。そ
の歴史的事件をベースに、若き王アクナーテンと美しい妻ネフェルティティの愛と、民に自由を与えるはずの彼の企てが無残に崩壊する様をドラマチックに描
く。

 
ミカ・ワルタリ, 飯島 淳秀 (2)
5圧倒的筆力
5「エジプト人」の復刊を期待
古代エジプトの伝説「シヌヘの物語」になぞらえて、医師の卵シヌヘが美女に恋焦がれ身を崩しエジプト去らざるを得なくなりシリア、バビロニア、クレタ島等を冒険遍歴し、やがてエジプトに戻りアメンホテップ4世(イクナートン)の宗教革命(?)とその破綻に王宮医師として関わり、ツタンカーメンの死と王朝の変遷、と息をつく暇も無く大スペクタクルが味わえる歴史小説です。

紀元前1360年頃、古代エジプト第18王朝。エジプトには、アクエンアテン王が強行した宗教改革の嵐が吹き荒れていた。混乱する国政に、人々の間に王 (ファラオ)に対する不信感がつのっていく。第三王女アンケセナーメンは、生まれ持った美貌と頭脳で、失墜した父王の威信を取り戻すべく奮闘するが…やがて彼女自身も、ツタンカーメン王子と共に、壮絶な後継者争いの渦に巻き込まれていくのだった―。

里中 満智子 (2)
5アンケセンアメン
4男と女、親と子の問題は、いつの時代も難しい。
権謀術数うずまく古代エジプトを舞台にした壮大な叙事詩! 少年王・ツタンカーメンと少女妃・アンケセナーメンが「理想の国家とは? 愛とは? 神とはなにか?」と、苦悩しながら成長していく姿を感動的に描く!

山岸 凉子 (3)
5日出処の天子のように始まる、歴史から抹殺された謎のファラオを求める物語・・・。
4複雑な心理描写がうまい。
4山岸タッチによるツタンカーメン発掘物語
調査の為、ルクソールに滞在中の考古学者ハワード・カーターは、黄金のサンダルを履いた男の夢を見る。ところが現実にも黄金のサンダルを履いた謎の男が現れて…。


■第19王朝(新王国)

24    ラムセス1世
25    セティ1世(メンマアトラー)
26    ラムセス2世(大王、ウセルマアトラー)
27    メルエンプタハ
28    アメンメセス
29    セティ2世
30    サプタハ
31    ターウセルト

篠原 千絵 (24)
5少女漫画のトップレベル
5続く高揚感…
5素晴らしい本です
4なんだかんだ言いつつも…
5最高
夕梨(ゆうり)は中3の普通の女の子。ところがある日、水の中から出てきた “手”によって、古代ヒットタイト帝国に連れて来られ、命を狙われるハメに!?

クリスチャン ジャック, Christian Jacq, 山田 浩之 (6)
5痛快で劇的な展開がとても楽しい小説です
4通勤電車にもおすすめ
5エジプトだ。エジプトへ行かなきゃ!
5古代エジプトの世界観がわかる!
5寝不足覚悟でお読みください!
古代エジプト第十九王朝は、王(ファラオ)セティ一世のもと、帝国の再建を目指していた。そして、これもまた世の常、力を巡って、密やかに不穏な策謀が渦
を巻き始めていた。王の座を争うのは血肉を分けた実の兄弟、勇猛で情熱的な第二王子のラムセスと狡猾な兄シェナル。熱砂の大地に非情な骨肉の争いの火蓋が
切って落とされた。ラムセスに忍び寄る魔の手、降りかかる苛酷な試練…。エジプト史上、最も偉大なファラオと呼ばれたラムセス二世、波瀾万丈の運命の矢が
いま、放たれる!世界で一千万人を不眠にさせた絢爛の大河歴史ロマン。


■第20王朝(第三中間期)紀元前1000年頃

01    セトナクト
02    ラムセス3世
03    ラムセス4世
04    ラムセス5世
05    ラムセス6世
06    ラムセス7世
07    ラムセス8世
08    ラムセス9世
09    ラムセス10世
10    ラムセス11世

■第21王朝(第三中間期)
11    スメンデス1世
12    ネフェルケレス
13    プスセンネス1世
14    アメノフティス
15    大オソルコン
16    プシナケス
17    プスセンネス2世

■第22王朝(第三中間期)
18    シェションク1世
19    オソルコン1世
20    シェションク2世
21    タケロト1世
22    オソルコン2世
23    ハルシエセ
24    タケロト2世
25    シェションク3世
26    パミ
27    シェションク5世
28    オソルコン4世

■第23王朝(第三中間期)
01    ペディバステト
02    シェションク4世
03    オソルコン3世
04    タケロト3世
05    ルドアメン
06    イウプト
01    テフナクト1世

■第24王朝(第三中間期)
01    テフナクト1世
02    バクエンレネフ

■第25王朝(第三中間期)

01    アララ
02    カシュタ
03    ビアンキ
04    シャバカ
05    シャバタカ
06    タハルカ
07    タヌトアメン

紀元前750年頃、エジプトに黒い肌をもつ、ヌビア人のファラオが誕生した。―‘黒いファラオ’ピアンキである。だが、エジプトはかつての栄光を失い、権力抗争の渦巻く戦国時代になっていた。そしてついに、リビアの強敵テフナクトが北部連合軍を結成、エジプトに攻め込んでくる。迎え撃つピアンキに勝算はあるのか。エジプトの存亡を賭けた未曾有の大決戦が幕を開ける!


■第26王朝(第三中間期)
01    ネコ1世
02    プサムテク1世
03    ネコ2世(ネカウ、ネクタネポ)
04    プサムテク2世
05    ウアイブラー
06    イアフメス2世
07    プサムテク3世

■第27王朝(末期王朝、アケネメス朝ペルシア)紀元前500年頃

01    メスウティラー(カンビュセス2世)
02    スメルディス
03    セトゥトラー(大王、ダレイオス1世)
04    クセルクセス1世
05    アルタクセルクセス1世マクロケイル
06    クセルクセス2世
07    ダレイオス2世ノトス

■第28王朝(末期王朝)
08    アミルタイオス

■第29王朝(末期王朝)
09    ネフアールド1世
10    プサミュゼス
11    ハコル
12    ネフアールド2世

■第30王朝(末期王朝)
13    ネクタネボ1世
14    テオス
15    ネクタネボ2世

■第31王朝(末期王朝、アケネメス朝ペルシア)
16    アルタクセルクセス3世オコス
17    アルセス
18    ダレイオス3世

■プトレマイオス朝(マケドニア王)紀元前300年頃

01    アレクサンドロス3世(大王、メリアムン・セテプエンラー)
02    フィリッポス3世
03    アレクサンドロス4世

阿刀田 高 (5)
5大王の情熱と兵士たちの想いと
5圧倒的な行動力に感嘆!!!
5圧倒的な行動力に感嘆!!!
5映画化される前に読んでおきたい作品
5神の子アレクサンダー大王の波乱の生涯を描いた一冊
紀元前4世紀、わずか10年余でギリシアからインドに及ぶ大帝国を築き上げたアレキサンダー大王。その少年時の師は哲人アリストテレスであった。いかなる劣勢、いかなる謀略にも屈しなかった最強の武将の真の姿とは?勇気と知性と一途な夢をもって駆け抜けた波瀾の生涯を圧倒的スケールで描く長編小説。

※アレキサンダーについては多すぎる上にファラオとはちょっと違う気がするので、これ一冊だけ。

岩明 均 (25)
5面白いんですが、年齢の低い子どもに見せられないのが悲しい
4知らなかった
5歴史大河ロマン
2リアリティがない
5ただ面白い
舞台は紀元前、後にアレキサンダー大王の書記官となるエウメネスの波乱に満ちた生涯を描いた歴史大作だ。蛮族スキタイの出身でありながらそれを知らず、都市国家カルディアでギリシア人養父母に育てられたエウメネスは、そのおかげでギリシア的教養を身につけることとなる。ある日養父がスキタイ人に殺され、自分の出自を知ったエウメネ スは奴隷の身分に落とされてしまう。それが彼の波乱の旅の始まりだった!


■プトレマイオス朝

04    プトレマイオス1世ソテル
04    ベレニケ1世(プトレマイオス1世后)
05    プトレマイオス2世フィラデルフォス
05    アルシノエ1世(プトレマイオス2世后)
05    アルシノエ2世(プトレマイオス2世后)
06    プトレマイオス3世エウエルゲテス1世    
06    ベレニケ2世(プトレマイオス3世后)
07    プトレマイオス4世フィロパトル
07    アルシノエ3世(プトレマイオス4世后)
08    プトレマイオス5世エピファネス
08    クレオパトラ1世(プトレマイオス5世后)
09    プトレマイオス6世フィロメトル
09    クレオパトラ2世(プトレマイオス6世・8世后)
10    プトレマイオス8世エウエルゲテス2世
11    プトレマイオス6世フィロメトル(復位)
11    クレオパトラ2世(プトレマイオス6世・8世后〈夫を放逐し単独統治〉)
12    プトレマイオス7世ネオス・フィロパトル
13    プトレマイオス8世エウエルゲテス2世(復位)
13    クレオパトラ3世(プトレマイオス8世第二后)
14    プトレマイオス・メンフィティス
15    プトレマイオス8世エウエルゲテス2世(復位)
15    クレオパトラ3世(復位)
15    クレオパトラ2世(プトレマイオス8世と復縁・共同統治)
16    プトレマイオス9世ソテル2世
16    クレオパトラ4世(プトレマイオス9世后)
17    プトレマイオス10世アレクサンドロス1世
18    プトレマイオス11世
19    プトレマイオス10世アレクサンドロス1世(復位)
20    プトレマイオス9世ソテル2世(復位)
21    ベレニケ3世(プトレマイオス11世后)
22    プトレマイオス11世アレクサンドロス2世
23    プトレマイオス12世アウレテス
23    クレオパトラ5世(プトレマイオス12世后)
23    クレオパトラ6世
24    ベレニケ4世
25    プトレマイオス12世アウレテス(復位)
26    クレオパトラ7世フィロパトル(紀元前51〜30年)
26    プトレマイオス13世
26    アルシノエ4世
26    プトレマイオス14世
26    プトレマイオス15世(カエサリオン)

宮尾 登美子 (6)
1宮尾せんせーい、頼みますよ!
2クレオパトラ贔屓が過ぎるかな・・
4歴史に不勉強な私で恥ずかしいですが。
4クレオパトラは普通の女の子?
4神秘的な人物、クレオパトラ
紀元前1世紀のエジプトに降臨した美しき星・クレオパトラ。神に導かれ、弱冠18歳で女王として民のために生きる決意を固めたクレオパトラは、エジプトを脅かすローマ将軍達との危うい駆け引きの中で、運命の人シーザーと巡り合う。

プトレマイオス王朝に生まれ、数々の苦難を乗り越えて女王となったクレオパトラ。強国ローマからエジプトを守るために、彼女は命をかけて闘いに挑む。美貌と悲劇の女王の波乱の生涯を描く歴史絵巻。



ここまで来て、やっとシーザー暗殺&クレオパトラの自殺→オクタヴィアヌス(アウグストゥス)によるローマ帝国建設へと続きます。
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2010年06月21日

風車の歴史

■風車の歴史

風車の歴史は古く、エジプトでは3000年以上前から使われていたとの記録がある。灌漑(かんがい)用や小麦製粉用として欧州で発展し、19世紀初頭のオ
ランダや英国では1万基以上が立ち並んだ。発電用風車は、デンマークの物理学者ポール・ラ・クールが1891年、農村部に電気を普及させる目的で発明した。
日本では、明治初期に横浜の居留地に住む米国人が母国から持ち込んだ風車を牧場に設置したのが最初とされる。大正〜昭和初期には海軍技術官らが風力発電を研究し、群馬県や鹿児島県の農業学校などに輸入風車が実験的に設けられた。
近年は大型化、高効率化が進む。2007年末現在の世界最大手はデンマークのヴェスタス社で、三菱重工業の市場占有率は9位だ。
http://www.mhi.co.jp/power/wind/history/kobore_kokusan.html


■国産風車

風力発電は既に日本全国で稼働しているが、大半は外国製の風車だった。しかし、設置数が増えるにつれ、国内の重工メーカーが風力発電ビジネスに次々と参入してきた。
現時点で自社製の風車を納入ないし試作している大手企業は、三菱重工業、川崎重工業、富士重工業の3社。三菱重工業の風車は欧州製の大型風車に匹敵する
1メガワットモデル。川崎重工業は中型クラスの600キロワット級で勝負する。富士重工業は40〜100キロワット級の小型風力発電機で、離島や発展途上
国向けのビジネスを狙っている。
日本は低気圧や台風の通り道にあたり、日によって風向や風速が頻繁に変わる、風力発電には不向きな気候である。風力エネルギーが風車にかけるストレスは実はかなりのもの。欧州製の風車が日本のような過酷な風環境での運用に耐えられるかどうかは、未知数だという。
国内メーカーが風車を設計することは、日本特有の気候へのマッチングという点で有意義なだけでなく、同じくモンスーン気候である南アジアへの販売でも優位に立てる可能性も高い。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000257

■世界最大の風車

エジプトで世界最大規模の風力発電所が完成した。
エジプト東部にあるザファラーナ風力発電所は、首都・カイロから約200キロ南へ行った砂漠の中にある。遮るものがほとんどなく、同じ方向からやや強い風が吹き続けていて、この風を受けた風車が電力を生み出している。
エジプトではこれまで、こうした新しいエネルギーはほとんど開発されていなかったが、経済成長に伴う電力の需要に対応するため、初の試みとなった。エジプ
トは国土の9割が砂漠で、厳しい気候を自然エネルギーの宝庫として利用する逆転の発想で、9月には初の太陽熱を利用した発電所も完成する予定。
http://www.news24.jp/articles/2010/05/06/10158640.html

■風車で町おこし

山形県立川町は人口約七千八百人の過疎の町。扇形に広がる平野のかなめの部分に位置する地形が災いし、山間部にたまった冷気が最上川沿いに一気に吹き下ろ
す。局地的な東南東の強風は「清川ダシ」と呼ばれ、日本三大悪風の一つ。冬は大陸から吹き付ける北西風が最上川をさかのぼる。年間平均風速五・〇メート
ル、一年を通して風がやむことはない。
「火事が起きれば大火になるし、農作物にも被害を与える。よそから嫁入りした女性は『風が強すぎて片頭痛が起きる。よくこんなところに住み着いているものだ』と嘆いたものだ」。今田幸雄企画開発課長(53)は、地域住民を長年悩まさてきた清川ダシについてこう説明する。
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2000/kakunen/kak0708.html
 
■風をつかまえて

今年の「青少年読書感想文全国コンクール」、高等学校の部の課題図書に入っているのが『風をつかまえて』です。
http://www.dokusyokansoubun.jp/books2010.html

起死回生の町おこしとして、町の小さな鉄工所が「風車」を造ることになった。だが予算、技術など、問題は山積みで…。北海道の破綻寸前の小さな町を舞台に、地域と家族の再生をかけた父と子の姿を描く。
高嶋 哲夫 (2)
3ネタの新鮮さに価値がある
4オススメですよ。
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2009年12月16日

高嶋哲夫『乱神』の時代


高嶋哲夫『乱神』(幻冬舎刊)は、鎌倉時代の元寇を題材にしています。
文永の役の恐怖さめやらぬ博多に、十字軍の騎士たちが漂着するという英雄譚です。

この時代については、へえーと(私が)思ったことがいくつかあります。

■中世の通貨について

本格的な鉱山開発や精錬法が確立するのは16世紀以降のことで、それまで金銀の貴金属は贈答や仏像、工芸品の制作に用いられるだけでした。
為政者による通貨の鋳造・発行も行われておらず、この頃の流通通貨とは、大陸から輸入された、1枚1文の銅銭のことです。

銭は10文で1疋、100疋で1貫と勘定します。つまり1貫で銭1000枚。

高額貨幣は存在しないので、銭は中央の穴に紐をとおしてひとまとめ。
非常にかさばります。
銅銭1枚が3.5グラムほど。一貫となると3.5キログラムになります。
現金は100文をたばねた一結と、1000文をたばねた一連とよばれる「さし銭」で取引しました。
一連では100文ごとに結び目をつくっておくのですが、正確に100文づつということはなく、96〜97枚であっても100枚と見なしました。

一般に米1石が銭1貫といわれ、現代に直して米10キロ=5000円と仮定すると、1貫文は75000円と比定できます。
しかしこれを清酒で換算すれば1貫文はおよそ15万円となり、大工の日給で換算すれば1貫文は30万円となってしまいます。
適当に考えて、一貫は15万円から20万円ほどでしょう。

余剰の資金は借上、土倉などとよばれる金融業者が預かり、これを運用するなどして管理しました。

■元軍の船

近年、北九州の沿岸海底から、「蒙古碇石」と呼ばれる長柱状の石材が数多く発見されています。
花崗岩でできており、このタイプの石は朝鮮半島や中国大陸南東部で産出されます。
発見されたものは、一番大きいもので長さ13メートル、重さ170キログラムほど。
これほどの碇を積むとなると、長さ40メートルを超える大型船になるでしょう。

当時、造船が盛んだったのは福建省泉州でした。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』によると、『船体は二重張り、甲板は1層で、甲板には多数の船室がある。マストは4本で、倒すことのできる補助マストが2本。船倉は頑丈な板で幾つかに区画され、仮に船体の一部が破損しても,隣房には浸水しない』。
おそらく水夫も含めて、船は泉州の貿易商人が提供しました。

フビライは,弘安の役に先立つ1279年、中国揚州、湖南、泉州、広州と半島の全羅道、慶尚道に造船命令を発しました。
かくして中国船は南宋より降った10万人の江南軍、高麗船は高麗と蒙古による35000人の連合軍を輸送します。

『太平記』を読みますと、
「大舶舳艫を双て、もやいを入て歩の板を渡して、陣々に油幕を引き干戈を立双べたれば、五島より東、博多の浦に至るまで、海上の四囲三百余里俄に陸地に成て、蜃気爰に乾闥婆城を吐出せるかと被怪」
(大船がずらりと並び、船と船を板で繋ぎ、自由に渡れるようにしてある。陣営毎に油幕を引き、矛を立ち並べ、五島列島より東の博多海岸に至るまで、まるで海上三百余里が突然陸地となったようで、まるで蜃気楼が起こっているのかと怪しまれるほどである)

という、日本側から見れば、まことに恐懼すべき状況でした。

■「神風」の間違い

1,武士は個人戦法、元軍は集団戦法で、戦術的・文化的に大人と子供ほどの違いがあった。
2,元軍は手榴弾や地雷のようなものまで使うのに、武士の武器は太刀のみだった。
3,元軍はモンゴルだけに騎馬兵で、武士は徒歩での突撃だった。
4,日本絶体絶命の状況でたまたま台風がぶつかり、偶然日本は助かった。

全て間違いです。
元軍は海から攻めてきたんですから、まず地雷は関係ない。
そんなの埋めたら、自分たちが侵入できなくなってしまう。
また水や飼葉のことを考えれば、兵士分の馬を持ってくるのは難しい。

台風が「神風」となったという人がいますが、逆に言うと、なぜ元軍はわざわざ生活困難な船上に留まっていたのか?
普通に考えれば、上陸して敵を蹴散らしてすぐに上陸地点に陣地を敷き、そこから侵攻開始するはずです(ブラッド・ピット主演の映画『トロイ』を思い出してください)。

元軍は6月初めに博多の志賀島に上陸し、そこから7月初めまで戦いは続きます。
1ヶ月以上戦っていたのに、元軍は船上にいて、台風にやられたという。
勝ってたなら、こんなことはありえません。
日本の武士のせいで、船に押し込められたままだったんでしょう。

あとは、日本の何もしてない公家や寺社仏閣が「俺たちが祈祷で神風を呼んだのだ」と一席ぶった。
いつの時代も、戦わない者ほどやかましいものです。

■鎌倉武士の強さ

幕府は武士たちに武芸を奨励したが、中でも弓馬の芸こそが至上とされました。
世界的に見れば、日本の武士は「重装弓騎兵」となります。

和弓の定寸は7尺5寸(約2.3メートル)で、矢の長さは12束(手で握ったときの幅の12倍。約92センチメートル)が標準。
ヨーロッパのロングボウが大きくても2メートルほど。

また和弓は両面を削った木に2枚の竹をはぎ合わせて靭性を確保してあり、さらにその竹は炭化されていたから、より強い弾性が得られる素材となっていました。

源為朝の弓が8尺5寸、矢の長さ15束、8人張りの強弓であったという話があります。
その一矢は大鎧を着た武者を3人貫通しました。
伝説だから大げさだとしても、その威力と射程距離の長さは、世界随一だったでしょう。

8人張りとはいかずとも、5人張りといって、4人が弓を曲げてそこに1人が弦をかけて作ったものは普通に存在したようです。

長弓を自在に操るには数年におよぶ訓練が必要ですから、つまりは大の大人にそういう訓練をゆるす社会でなければなりません。
通常、騎兵は経済的・訓練的に問題が多く、全軍の5%も用意できれば良い方です。
日本以外のどこの国でも主戦力は歩兵であり、騎兵は後方に回り込むなど機動力をもって補助的に用います。

ところが鎌倉武士は、全員が、
「長弓による長距離攻撃」+「騎兵の機動力」+「重装備による防御力」+を持ちます。
初めてやってきたアウェイ側(元軍)にしてみれば、地形に熟知したホーム側(日本)にアウトレンジで攻撃され、接近したらしたで、全員が弓を太刀・槍に持ちかえて白兵戦ができる。
しかも大軍勢。
これでは元軍に、勝てる要素がありません。

■武士だって名乗らない

元寇の様子として、よくあるのが「日本の武士がひとりづつ名乗りをあげる間に、元軍が集団で襲う」というもの。
鎌倉武士というと一騎打ちのイメージがありますが、そもそも一騎打ちは名誉の問題です。
武士は、相手も同じ武士でないと一騎打ちしません。
源平合戦のころより、奇襲攻撃、集団攻撃は当たり前のように行われていました。

しかし弱小の御家人が恩賞にありつくため、蛮勇をふるって一騎打ちをしかけることはありえるでしょう。
元寇の際に武士が名乗りを上げたのは、元軍にではなく、味方同士で名乗り合って恩賞請求の証人となってもらうためです。

■当時の鎌倉について

武家の都・鎌倉は20万もの人口を抱える大都市で、このとき世界の五指に入るべき繁栄を誇っていました。
鎌倉入りのルートは「鎌倉七口」といって、極楽寺、大仏坂、化粧坂、亀ヶ谷、巨福呂坂、朝夷奈、名越といった切通し。
鎌倉は南の海をのぞき、三方が山に囲まれた要害の地です。
そこで山や丘を切り開き、「切通し」と呼ばれる道を掘削しました。

かつては京都からの表玄関としては、他に海岸に沿って歩く稲村ヶ崎ルートがありました。
しかし波濤による浸食や、岩壁の崩壊で危険となり、この頃にはあまり使われなくなっています。
そこで稲村ヶ崎の手前、七里ヶ浜から谷に沿って入って極楽寺に達し、そこの切り通しを抜けて由比ヶ浜の目の前に出る、という道筋がもっとも難のないものだったでしょう。
そこからは若宮大路を北上して鎌倉に入ることができます。
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2009年12月14日

昨日の『坂の上の雲』を観て

昨日も夜8時前には、テレビの前でそわそわしてました。
なんだか、加藤剛の体調があまりに悪そうで、彼が陸奥宗光やったほうが良かったんじゃないかと思いました。

で、昨日は川上操六と陸奥が詐術を弄して朝鮮に大兵を送り込み、明治天皇と伊藤をだまして日清戦争へと突入していく過程が語られていました。
あくまで私のイメージですが、日本の軍人はほんと、これのくり返しですね。
最高司令官の意に従わない。
しかも陸軍と海軍が同等なんていうごまかしをやってるものだから、日清日露と戦争に負けなかったことが災いして、海軍が「次はアメリカだ」とやってしまった。
(山県が生きてる間は良かったように思います)
大陸での戦争を解決するのに、ハワイを奇襲してどうするんだという話です。

ハルノートがどうこう言う人も多いですが、これは今の民主党の普天間基地問題と似たような話だと思いますよ。
つまり、「会話になってない」。

民主党が「政権交代したので、これまで話し合ってきた移転については仕切り直しましょう」とか、「県外ではどうか」とか言うのは構わないんです。
ではなぜ鳩山は「Trust me」なんてオバマに言ったのか。
そして県外移設を言うのなら、一体どこの県なら国内は解決するのか。

伊藤博文は平和主義者ではありますが、リアリティのある政治家でした。
やるなら躊躇なく勝たねばならんということが分かっている。
政治家にとって戦争は「やりたくない」ものであって、「しない」ものではありません。

戦争やるぞという思想が戦争を呼び起こすことは、もちろんあります。
しかし「絶対に戦争しません」という思想が戦争を起こすこともあるんです。
つまり「私は攻撃されても絶対に反撃しない!降伏します!」と叫ぶのは、早く攻撃してくださいと言ってるのと同じです。
これはこれで戦争を望んでいるんです。
(活動家がこれを叫ぶのは、それが政府や世論への圧力になる以上は大いに結構です)

アメリカ人を将軍にして、ドイツ人を下士官にして、日本人を兵士にして……みたいな話がありますね。もしかしたら日本人は、永続的に才能を引き上げるトップダウンのシステムを作れない民族なのかもしれない。ですんで、憲法9条の問題については、現在のもめてる状態がベストなのかと思ったりもします。
それはおいといて。
しかし政治家がリアリティのないことを叫ぶのは、卑劣というべきです。

鳩山が「信じてくれ」と言ったはしから、「沖縄県民のために」移転を見送るといってアメリカをあざむくのは、責任を沖縄県民に押しつけるのと同じです。
なぜなら、もしこれで日米関係に明らかな不利益が出た場合、感情として「沖縄県民のせい」になってしまうからです。

一気にレベルを下げた例えになりますが、嫁姑の問題が起こっているとして、夫(息子)に求められるのは嫁と姑の善悪をジャッジすることではありません。
また嫁に対して「母さんがこうしてほしいと言ってるから」とか、姑に「妻がこう言ってるから」と訴えることでもない。

この場合、男に求められるのは「自分はどうしたいか」です。
鳩山という人間は、日本をどうしたいんでしょうか。

すいません。私自身は何を言いたいのか、着地点を見失いました。
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2009年12月10日

明治30年の神戸

先日蔵書の整理をしたのですが、大学生の頃に集めた古地図がどっさり出てきました。

あーあったあったこんなの、と感慨にふけりつつ、そのうちのひとつをご紹介してみます。


以下は「明治三十年 神戸市図(図は旧字体)」というもので、

・明治30(西暦1897)年3月25日印刷、定価10銭

・著者は「大阪府平民」奥川寅之助氏、大阪西成郡の方です。

・発行者は神戸市多聞の岩本郁文堂、代表は「兵庫県平民」山川鶴吉氏、神戸市元町の方です。


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この地図の中から、現在の三ノ宮駅周辺を拡大(角度は上が北になるよう修正しています)。


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これじゃよくわからないので、現在の地図を。


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まだよくわからない人のために。


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1:生田神社

2:兵庫県庁

3:庭園(現在の東遊園地公園?)


Wikipediaによると、


1868年外国人居留遊園の名称で開園した日本で最初の西洋式公園である。開園当時は外国人専用であった。公園内には、ボウリング発祥の地の碑・近代洋服発祥地の碑などの各種の記念碑がある。また、慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りといった阪神・淡路大震災関連のモニュメントも、公園内にある。毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている。また、毎年12月におこなわれる光の祭典「神戸ルミナリエ」では、東遊園地のグラウンドが終端の会場となっている。なお東遊園地の「遊園地」の名称だが、今日の日本語での一般的な遊園地の意味とは異なり、「公園」と同義で使われている。この公園の名称については当初より「内外人公園」など様々な呼び方がされていたが、1922年に「東遊園地」と呼ばれるようになった。旧居留地の東に位置することが名称の由来となっている。

とあるので、おそらく3は東遊園地公園でしょう。



それにしても驚くのは、海岸線が全く違うことですね。

もともと山と海にはさまれ、東西に細長かった(現在だってそうだが)神戸市が、山の土を削って造成しては、それを海に持ってって埋め立ててきたわけです。

それがポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港として誕生してきました。


阪神高速3号神戸線(緑の太い道路)あたりに沿って、北東のHATゆめ公園のあたりまでぐいっと削り取ると、かつての海岸線になるのではないかと思います。
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2009年12月08日

山浦真雄・清麿兄弟とか

某所に放置されていた蔵書整理のため、久しぶりに父と会った。
二人で黙々と作業してたのだが、ふと父が「こないだ、写真が出てきたんや」と言う。

何かと聞くと、大阪のとある大寺にある墓の写真で、時代は明治の中頃。
今は剥落して読み取れない墓石が、写真だとはっきりと読めたらしい。

というのも晩年歴史に凝っていた祖父が、江戸時代の我が一族の墓所をやっと突き止めたと言ってたのだが、肝心の墓銘が読めないので父も私もずっと懐疑的だった。
しかし写真の発見によって、祖父が正解にたどりついていたことが判った、という話なのだった。

その流れで父が、その周辺の話をぽつぽつ話しだした。
いわく、千葉道場で免許皆伝を受けていたとか、二条城で岩倉具視を面罵したかどで「あいつの首を持ってこい!」と激怒され、何をどうやったか逃げ切った(?このあたり不明。でも死んでたら私は生まれてない)とか、そのせいで維新後のおいしい再就職にありつけなかったとか。
結局、ド田舎で田んぼ耕して暮らしてた。

また父の母(私にとって祖母)の方をたどれば、私の祖母は山浦真雄の孫娘で、真雄は弟の清麿と一緒に刀鍛冶をやってたのだが、佐久間象山の密書を持って薩摩へ隠密行をやってたとか。
そういう話が山のように出てきた。
どうやら父は、そういうこと話せる相手に飢えていたらしい。

山浦真雄については以下を。
http://www.city.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/yamaura_taku.html
http://www.e-sword.jp/sale/0870_3008syousai.htm
http://w1.avis.ne.jp/~i-junko/oinomezame.htm

以下は関連本。

隆 慶一郎 ¥ 620
心優しきヒーロー
気軽に読める決闘小説
隆慶一郎の源流
細かいところには目を瞑って・・・
仕事の醍醐味


 
斎藤 鈴子 ¥ 4,200


 
竜野 咲人 ¥ 1,029


他に、吉川英治『山浦清麿』というのもあります(昭和16年刊)。



あと私の高校からの親友のひとりが、こちらに作品を載せてます。
面白い(と私は思ってる)ので、読んであげてください。

角川書店 ¥ 680
祝!連載決定!
「ゆるいな」「ああ」
損はないかと
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2009年12月01日

歴史小説『乱神』

来週の12月11日、幻冬舎より高嶋哲夫『乱神』が発売されます。

世界最強の帝国「元」の大軍勢がせまりくる鎌倉時代の日本を舞台に、あっと驚くような「戦士たち」が奮い立ち、御家人を率いて戦う物語です。

http://takashimatetsuo.blog115.fc2.com/blog-entry-137.html

私は歴史上、異なる文化が出会う場所というのが好きで、第一世界大戦が好きなのもそこに理由があります。

で、この元寇というのもそのひとつで、ステンドグラスやサウナといった遠い西洋文化の文物までそなえた大宮殿に住む、元朝皇帝フビライ。
後にそこへは、ヴェネチアからマルコ・ポーロたちがやってきます。
西洋では、キリスト教とイスラム教が激突しています。

そして日本。
元軍が襲来するのは博多近辺で、当時の博多は交易さかんな国際都市でした。

当時の博多住人の中心にいたのは、通事や船頭などを務める唐人です。
これ以前、禅を日本にもたらした栄西は二度目の入宋をへて帰国し、建久六年(1195)、博多に本邦初の禅寺である聖福寺を創建しました。
聖福寺の寺域は宋人百堂と呼ばれた地で、つまりそこには宋人の建てたお堂が百あったということを意味しています。

この聖福寺創建を援助したのが、博多津の張国安ら張一族といわれます。
博多一帯には「張」姓の宋人たちが多く住んでいました。

当時、大陸側の通称窓口となったのは明州(寧波)です。
『乾道四明図経』によると、
「南は則ち閭・広、東は則ち倭人、北は則ち高句麗、商船往来し、物貨豊衍す」。

『文献通考』や『宋史』を見ても、このあたりから倭人の渡航が盛んになっています。
倭人は博多津よりやってきており、逆に博多浜一帯は、「大唐街」と呼ばれる外国人居留地が広がっていました。
さらに博多には、畿内近国の産物も瀬戸内海を経て運ばれてきます。

こうした産物の輸送を統括する組織は、「博多綱首」と呼ばれました。
綱首とは中国人の船頭のこと。
彼らは博多を拠点に商業活動を活発にし、巨万の富を築いたのでした。


そういう背景が、「元寇」のあった頃の日本にはあったんです。
博多の港では日本人だけでなく様々な言語がいりみだれ、身分の別なく大いににぎわっている。そこへある日、水平線を埋め尽くす大船団がやってくる……。

どうです、わくわくしてきません?
私自身はもうたまりませんね。
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2009年11月30日

昨日の「坂の上の雲」は良かったね

昨日の『坂の上の雲』第1回は、面白かった。

最近わりとテレビを観るようになった私ですが、20時台の番組なんて数年ぶりかもしれない。
このドラマの何がすごいって、見ててこっちが恥ずかしくなるような場面がなかったこと。
実に落ち着いて観ることができました。

香川照之と本木雅弘が15才の役やってたのは、まあいいんじゃないか。
昔の人は精神年齢高いし。

西田敏行(高橋是清)が、「この国の憲法を作り、国会を開く。国としての正義を世界に示す。日本が紳士の国だと、世界に認めさせる」とつぶやくシーンが、ちょっとうるっと来ました。
秋山真之が共立学校にいるわけだから、この時、明治16〜17年のこと。

この後、1889(明治22)年に大日本帝国憲法発布。
翌1890年11月に、第1回帝国議会。

そして1891(明治24)年に、あの大津事件が起こるわけです。

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大津事件(おおつじけん)は、1891年明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備にあたっていた巡査津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した、暗殺未遂事件である。行政の干渉から司法の独立を確立し、三権分立の意識を広めた近代史上重要な事件。議論の末津田三蔵は無期徒刑となり、司法大臣山田顕義は辞任した。 
Wikipediaより)


戒厳令をもってしても津田を死刑にしなければ、いまだ脆弱な帝国はロシアにつぶされるとおののき、奔走する伊藤博文たち(当然、ロシア側は死刑を求めている)。
それに対し、生まれたばかりの「法治」を死守すべく、その身命を賭して死刑に反対する大審院長・児島惟謙。

誰もが真摯に国家を思い、それぞれの論理に正義と整合性をもって激突する。
この時代は、世界中の国民が自らと国家を重ね合わせた時代でした。
第一次大戦、第二次大戦を経て、特に日本において、その「国家への信頼」は失われていってしまうわけですが。

あとは菅野美穂(正岡律)が「兄様〜!」とか叫びながらやってくる、走り方が面白かった。
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2009年11月10日

第一次世界大戦はなぜ起こったか

第一次世界大戦はなぜ起こったか。
明日、11月11日は第一次大戦が休戦した記念日。この戦争はGreat Warと呼ばれ、1914〜1918年の4年間続きました。

現在もはっきりと「これが一番の原因」という結論が出ておらず、非常に複雑で、なおかつ非常に単純かつバカらしいとさえ言えるところに原因が「いろいろあった」とされます。

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※開戦前、1914年のヨーロッパ。

1、ドイツ帝国の戦争計画にそもそも無理があった。

第一次大戦の主要当事国(ドイツ・オーストリア VS フランス・ロシア・イギリス)には各国それぞれ「戦争が始まったら、こういう風に兵士を動員しよう」という事前計画がありました。
ドイツの計画は「シュリーフェン・プラン」と呼ばれるもので、ドイツ軍主力(8分の7)はベルギーを踏みつぶしてフランスに突入、反時計回りに回転してパリを包囲撃滅。
さらにそのまま東に転進してドイツを横断、西進してくるロシアと対峙するというもので、後世から見ればめちゃくちゃなものでした。

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※ベルギーさんにとっては迷惑千万な、ドイツさんの突っ走りかた。

そしてこの計画は「ロシアの動員速度は遅い」という前提で成り立っていて、その時間差は49日と見積もられていました。
ドイツのプランの最大の問題点は、とにかく時間との戦いであったこと。
つまり外交進捗や政治的判断と関係なく、フランスなりロシアなりの開戦の兆候があると見るや、自動的に戦争システムが発動してしまうことです。
本来はドイツの意思があっての戦争計画であるにもかかわらず、ドイツは「おまえらのせいで俺たちは計画発動するんだ。おまえたちさえちゃんとしてれば、俺たちはこんなことしないですむんだ」という逆ギレのような立場になるわけです。

さらに計画はフランスが49日以上抵抗すれば破綻、またそれ以上の速度でロシアが迫ればこれまた破綻というもので、実際の戦争ではどちらもドイツの目論見が外れました。

2、セルビア王国の政府中枢にまでテロ思想が入り込んでいた。

教科書で習う「第一次大戦の原因」は、セルビア青年によるオーストリア皇太子暗殺がその原因とされていると思います。
このセルビア青年たちが所属していたのが、「ブラックハンド(黒手組)」というテログループです。
これにはセルビア政府幹部が多数在籍しており、その首魁アピス(蜂の意)の正体はセルビア陸軍情報局長でした。
その思想は「大セルビア主義」であり、二重帝国南部のセルビア語住民の地域を奪取すべく、安易なテロ工作に走ったのでした。

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ここでセルビアを助けるべくロシアが動きます。
なぜロシアが動くかというと、その伏線は日本です。
ロシアは日露戦争に勝利できなかった。それすなわち太平洋側への不凍港を手に入れられなかったということ。
太平洋側がふさがった以上、ロシアは地中海に出るしかありません。
黒海からトルコ帝国の脇を抜けていくルートは死守せねばならない。
そんな場所に二重帝国の手をのばさせるわけには行かん、というわけです。

で、セルビアを保護するロシアと、暗殺されて怒り心頭のオーストリアが衝突。
ロシアが動けばドイツが自動的に戦争発動というわけで、当然ロシア支援のためにフランス出陣、仏露支援のためにイギリス参戦というわけで戦争のドミノ倒しが始まりました。

3、オーストリア=ハンガリー二重帝国の宰相が判断を間違えた。

当時のオーストリア宰相ベルヒトルトは、おそらく実戦となるのは対セルビア局地戦のみで、他はブラフ(脅し)だと思っていたふしがあります。
そもそも彼には、過去2回のバルカン戦争で外交に失敗し、大恥をかいてしまった伏線があります。
メッテルニヒやアンドラーシ、エーレンタールといったオーストリアの華麗なる策謀家たちの序列に自分も加わるためには、ここで一発キメておきたい。
ビビらせれば、ロシアは屈服する。するはず。してくれ。そんな風に思ったのかもしれません。
しかし駆け引きは失敗。チキンゲームは破綻しました。

ちなみにセルビア首都ベオグラードは、早々に「無防備都市宣言」を発します。しかしオーストリア軍は宣言を無視して攻撃開始しました。
そしてセルビア軍は南部から首都奪回を期して戦闘を開始しています。
ですからこの場合、「無防備都市」は戦争回避に何の役にもたっていません。

4、ドイツ帝国・ロシア帝国の情報伝達に不備があった。

開戦直前の深夜、ドイツ皇帝がロシア皇帝に電報を送ります。
「このままだと戦争になっちゃうよ」という内容です。
しかしロシア皇帝ニコライ二世は悪い意味で人がよく、深夜スタッフをたたき起こして緊急会議をひらくことができませんでした。
結局ひとり夜の宮殿で悩むしかなく、判断が遅れました。
さらにドイツ皇帝の寝所もポツダムにあり、電報がベルリンに届くと車に乗せて運ばねばならない(まだ電話線がひかれていなかった)。
ここでまた時間ロス。

5、五大国のそれぞれの同盟関係で、戦争のドミノ倒しが起こった。


中央同盟VS三国協商。
その中核がドイツとフランスです。これをお互いの視点で見ると、

フランス側:ドイツが攻めてきたら、背後からロシアに攻めてもらう。ドイツがロシアを攻めれば、自分たちが背後から襲う。
ドイツ側:フランスが攻めてきたら、オーストリアが南から襲う。ロシアが攻めてきたら、ドイツが叩く。

これらの運動がほぼ同時に開始されてしまいました。

6、古い戦争思想と新しい武器が混ざり合ってしまった。

開戦当初、例えばフランス軍の軍装はこんな感じです。
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これはまだサーベル持った騎兵集団が突撃していたような、つまりナポレオン戦争の名残(第一次大戦の100年前)のようなもの。
ところが実際に登場したのは、マシンガンや地雷です。
こんな真っ赤なズボン(パンタロン・ルージュ)で走るなど、「撃ってください」と言うようなもの。
しかし兵士は走らざるをえない。

最も悲惨だった「ソンムの戦い」では、イギリス軍の初日だけで、戦死者2万弱、負傷者6万弱の被害を出しました(ちなみに日露戦争・旅順攻防戦の日本側死傷者は、7ケ月間で6万人)。
今でもソンムに行くと、見渡す限りえんえんと続く墓標を見ることができます。

昔ながらの突撃をするたびにマシンガンにやられ、しかしそれ以外の突破方法がない。
お互いにどんどん消耗して、あっという間に戦線は膠着し、地獄のような塹壕戦が始まります。
一日で何千何万もの命を犠牲にしながら、お互いに得られる戦果は数メートルの前進のみ。
その状況が、浸透戦術(ブルシロフ戦術、フーチェル戦術)の登場まで続きました

このことは直接的な開戦原因ではないように見えます。
しかし当時、誰もが1914年の夏に始まったこの戦争を「クリスマスまでに終わる」と思っていました。
そして遠い過去の戦争体験から、さほど死者も出ないと感じていました。
このことが開戦へのブレーキをゆるめ、人々を国家の英雄へと駆り立て、その世論が政府を押し流してしまったと言えます。

7、お互いの戦争計画が、鉄道の時刻表でまるわかりだった。

当時の大量輸送は鉄道のみです。宣戦布告に先立っての動員令が出れば、国民は最寄りの決められた場所に出頭、列車に乗って集結地に向かいます。
そこで訓練をしてから戦地に向かう。
つまり鉄道は「各都市→集結地→戦地」という一方向に効率よく動くように組み合わされます。

すると敵国にひとりスパイを送って、兵士が乗った列車の動く方向を見れば、どの戦地に動員されるかがまるわかりなわけです。
例えばドイツのスパイがロシアに潜入して駅に立っていれば、ロシア軍主力が向かうのはドイツ方面なのかオーストリア方面なのかが判るというわけ。


原因をもっと書き込んでいくと、他にもいろいろあると思います。
つまり、「これといって、ひとつに絞れない」わけです。

第一次大戦
:ウェブ上ではここ以上に「読める」場所はないと思います。

The Empire That Was Russia
:カラー写真の帝政ロシア。当時の最先端技術で撮影しています。

Mediatheque de l'architecture et du patrimoine
:こちらは主にフランスの写真。

An Ambassadors Memoirs - Maurice Paleologue
:開戦当時、フランスの駐ロシア大使であったパレオログの日記。彼の目を通した、ロシア皇帝ニコライ二世(及び外務大臣サゾーノフ)の開戦意思の形成過程を読むことができます。

■参考図書
私が持ってるもので、思い出せた分だけですが。

History of World War I
:洋書です。A.J.P.Taylorによる編集。写真が豊富で見やすいです。

図説第一次世界大戦 <上>
学習研究社 ¥ 2,100
待望の第一次世界大戦本


図説第一次世界大戦 <下>
学習研究社 ¥ 2,100
現代の戦争を語るには避けて通れない筈ですよね。


歴史群像 2009年 02月号「カンブレー1917」
学習研究社 ¥ 1,000


歴史群像 2009年 04月号「アミアン1918」


死闘の海―第一次世界大戦海戦史
三野 正洋, 古清水 政夫 ¥ 1,680
第一次世界大戦はおもしろい!


帝政末期のロシア
アンリ トロワイヤ, Henri Troyat, 福住 誠 ¥ 2,625
主人公と共に・・・


ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇
ロバート・K. マッシー, Robert K. Massie, 佐藤 俊二 ¥ 3,059
感情的でなく、分かりやすく丁寧なかきかたです
有名な本
皇室の滅亡


西部戦線異状なし (新潮文庫)
レマルク, Erich Maria Remarque, 秦 豊吉 ¥ 700
新訳で読んでみたい
戦場の若者
ユーモラスだけど非情な戦争文学
すぐれた娯楽作でもある
反戦意識をさらに強固なものとした本


西部戦線異状なし [DVD]
エリッヒ・マリア・レマルク ¥ 3,675
少年兵の古典的映画
In-depth look war and peoples attitudes.
ただひたすらに兵士は哀しい
反戦映画の傑作
:僕が持ってるのはVHSビデオですが。さすがに売ってもなければ、これからVHSで見ようという人もいないでしょう。

■直接の関係はないけど……というもの

飛行艇時代―映画『紅の豚』原作
宮崎 駿 ¥ 1,890
んー
いちジブリファンの感想
ポルコ大好き!フォルゴーレ号大好き!
:大戦後の名残ということで。当時の南欧の雰囲気とか。

天使 (文春文庫)
佐藤 亜紀 ¥ 620
やはり、稀に見る完成度を誇る傑作
電子辞書を握り締めて徹夜で読了
非常に面白く、非常に不親切な小説
難解だがとても面白い小説
天才の業績にひれ伏す。

:超能力バトル。舞台が第一次大戦ウィーン。

明石工作
 
稲葉 千晴 ¥ 693
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2009年08月04日

名古屋へ

仕事で名古屋に行ってきました。
中部地方を代表する某大企業の方に、いろいろ案内してもらいました。
昼食をとった後、トヨタ自動車博物館へ。
入口すぐに展示してあるのはスバル。
トヨタじゃないところがすごいです。

内部は珍しいクラシックカーなどがぴっかぴかに磨き上げられております。
最近の自動車は、見ていてあんまり面白くないですよね。
コンピュータで空気抵抗などを計算してデザインすると、全部似たようなデザインになってしまうそうです。
その点昔の車は無駄が多くてごちゃごちゃしていますが、そこがかっこいい。
どこだっかかの建築家が「建築は無駄の部分が美しい」なんて言っていたのを思い出します。


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下の写真はマツダのコスモスポーツ。
「こち亀」(こちら葛飾区亀有公園前派出所)作者・秋本治氏の、かつての愛車。
「バッテリーを換えても換えてもすぐ上がる」と、マンガの中で愚痴ってたやつです。

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トヨタの昔のエンブレム。漢字で「豊田」。

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その後は、熱田神宮を参拝。

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本殿は工事中でした。

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なぜか境内にニワトリが。
立派な足をしており、かなりの攻撃力がありそうです。

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この後は、「スギモト本店」ですき焼きをいただきました。
ごちそうさまです。
タグ:diary 外出
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2009年04月16日

チベットはすごい

九州国立博物館で、「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」という特別展示が行われています。
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s15.html

これのパンフレットが、何度見ても笑ってしまう。

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「なんじゃ、コラーーーッ」
「なんじゃい、ァンダラァ〜」

みたいなことが、笑顔の背後で行われておるわけです。
これは「カーラチャクラ立像」というもので、14〜15世紀の代物。
これの説明書きを読むと、さらに驚き、そして笑いがこみあげてきます。

「一切の悪に打ち勝つ力であるカーラチャクラは、4つの顔と24本の腕を持ち、その妃と抱き合っている。方便、実践を象徴する男性の仏と、般若、智慧を象徴する女性の仏が一体化することによって得られる悟りの境地を表現している」

つまりこれ、夫婦で抱き合いながら、めちゃめちゃに睨み合っていたのです!
さらに男は方便でごまかすけど実践、女は般若だけど智慧、というあたりも何となく判るような判らないような……。
なんというか、奥深い。
チベット人の人間観察力は並大抵のもんじゃねーな……と本気でうなってしまいましたよ。



でも、万が一、億が一の可能性として、ちょっとギャグで作ったということはないんですかね?
今も昔も人間は何も変わらないと思うんですよ。

例えば、もし私は縄文時代に生きていたとしたら、絶対にふざけた土器を作ることもあったと思う。
おしり土器とか。
子供は最初、土器作りの練習するはずです。みんな真面目に作るなんて、ありえますかね?

笑いだって立派な人間の証です。
憤怒の像とか悲憤の像があるんですから、爆笑の像、もしくは信者を爆笑させる像があってもおかしくない、いや、あってしかるべきです。
芸術品にギャグを持ち込んだらいけないなんて、そんなことは全くないと思うんですが。
タグ:diary
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2008年09月29日

交響曲第九・第四楽章「歓喜の歌」歌詞

私は12月、日本中で恒例の「年末になると第九を歌い出す人」の一員になっており、毎週練習にいそしんでおります。

以下はベートーヴェン(ドイツ語的にはベートホーフェン)が作った、なんで耳が聞こえないのにこんなの書けちゃうの!天才にもほどがあるわ!という交響曲第九の最終楽章に使われる、「歓喜の歌」の歌詞(原詩はシラーの『An die Freude』)で、自分なりに訳してみました。



O Freunde, Nicht diese Töne !
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen, Und freudenvollere.

友よ、こんな調べではなくもっと楽しい歌を!
もっと喜びに満ちたものを。

Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!

歓喜よ、神々のきらめきよ、天上の楽園の乙女よ、
炎のような情熱に酔いつつ足を踏み入れる。
天なる汝の聖所へ!

Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt;
Alle Menshen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt.

汝の力は、時の流れによって分け隔てたものを、再び一つにする。
汝の柔らかな翼のもとで、全ての人は兄弟となる。

Wem der grosse Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

大いなる幸福を手にした者、すなわちひとりの友の友なり、優しい妻を得た者よ、その歓喜を共に!

Ja, Wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle weinend sich aus diesem Bund.

そう、例えたったひとつの魂でも 自分のものと呼べるものが世界にあるのなら!
それができない者は、涙を流してここから立ち去るが良い。

Freude trinken alle Wesen An den Brüsten der Natur,
Alle Guten, alle Bösen folgen ihrer Rosenspur.

主の乳房より歓喜を飲み、
善き者も悪き者も、全て主の薔薇の小径を辿る。

Küsse gab sie uns und Reben,einen Freund, geprüfut im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,und der Cherub steht vor Gott!

我らは接吻と葡萄酒、そして死をもってしても奪えぬ友を与えられた。
快楽の官能は虫けらのごとき我らにも与えられ、智天使ケルビムは神の御前に立つ!

Froh, wie seine Sonnen fliegen,durch des Himmels prächt'gen Plan,

喜ばしくも神の計画によって、星々が天空を駆けるがごとく。

laufet, Brüder, eure Bahn,Freudig, wie ein Held zum Sigen.

兄弟よ、わが道を往け。英雄のように喜ばしい勝利を目指せ。

Seid umschlungen, Millionen !
Diesen Kuß der ganzen Welt !
Brüder ! überm Sternenzelt muß ein lieber Vater wohnen.
Ihr stürzt nieder, Millionen ?
Ahnest du den Schöpfer, Welt ?
Such ihn überm Sternenzelt !
Über Sternen muß er wohnen.

抱き合おう、諸人たちよ!
全世界にこの口づけを!
兄弟よ、星空の彼方には 敬愛なる父がおられる。
諸人よ、ひざまづかぬのか?
世界よ、主の存在を思うか?
星空の彼方に 神を求めよ!
その彼方に神は住みたもう。



私がかなり意訳してるので、レポート等には用いないでください。
posted by tk219 at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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