仮にA店とする。
何が気になるかと言って、客が入っているのを見たことがない。
いや、たまにはある。
あるにはあるが、それはゴールデンウィークとかクリスマスイブの夜とかに、ようやっと一組二組の客を見かけただけである。
このA店の主人、正しくは夫婦は、一体どうやって生活しているのだろうか?
そこで毎日、A店前を通りがかるたびに客の有無を確認したところ(なら行ってやれ、という声は重々承知している)、厳密には月に五組ほど来店していることが判った。
しかしこれでは地代も払えまい。
叶姉妹のような謎の収入源があるか、霞を食らう仙人でなくては餓死する。
もちろんA店主は富豪でないだろう。
なぜなら店の前に誇らしげに、夫婦相合って協力し、艱難辛苦をともに乗り越えて脱サラして開店した旨、雑誌に取り上げられた際の切り抜きとして、大いに貼りつけているからである。
そしてA店の二軒隣に、同じようなイタリア料理店が去年くらいにオープンした。
B店とする。
これがまた、いやみなくらいに大繁盛。
毎日毎日、どこからともなく老若男女が集結し、嬉しそうにランチやディナーで舌鼓の轟音を響かせているのだ。
私が件のA店主であれば、このB店を見れば悶死してしまうであろう。
店の入り口に血文字で「パスタ」とでも書いて。
つまりはたまのクリスマスイブに客を見かけたというのも、要はB店のおこぼれなのである。
無計画にやってきた若人が満員御礼に青くなり、身も心も寒くなる前にかけこんだのがA店だっただけのことだ。
「いずれ……行ってやらねばならん」
私は次第に、そう感ずるようになってきた。
深夜に通りがかると、夫婦はいつも店じまいの後、店にとりつけたテレビをぼけーっと眺めている。
会話しているのを見ないので、仲がいいんだか悪いんだか、うかがい知れない。
ここで解説しておこう。
なぜA店は閑古鳥が500羽ほど鳴き、B店は芋洗いのごとく混んでいるのか?
実は十年ほど前まで、A店はけっこう評判の店だったのである。
「あの店、行った?」
というのは、非常によく聞く会話のマクラであったのだ。
しかし国破れて山河あり。
要は、時代の波なのかなと思う。
B店は昨今はやりの食材、メニューを出し、店もオープンな雰囲気に演出してある。
厨房の様子は丸見えであり、壁材の色は明るく、照明は強め。
なるべく壁を廃して、植物などを使って間仕切りしてある。
実際に食べてみたが、味はまあまあだ。しかし雰囲気はよい。
対しA店は十年ほど前にはやった、「隠れ家」スタイルだ。
店内は外から見るにいかにも暗く、壁際に空きビンを意味なくぎっしり並べたりしている。
厨房カウンターにも所狭しと物をならべ、実に内向的である。
つまり味の問題ではないのだ。
みな、入店自体に足踏みしてしまうんじゃないか?
本当は旨いのに。勇気出して行けばいいのに。私もA店に行ったことはないのだが。
砂糖は甘い。
しかし、甘いのが砂糖とは限らない。
味はいいが、外見が悪い。
しかし、外見が悪いのは味がいいとはいえない。
それは理屈としては判るのだが、私は心中ふんぞりかえっているB店主の哄笑(実際は真面目で人の良さそうな店主)を思うにつけ、「やいやい、A店は味はいいんだい」と毒づくようになってきたのである。
店に入ったことはないが。
「仕方あるまい……」
私は決意した。
三年の月日は長かった。A店は、よくぞ今の今まで耐えた。
早くいかねば、本当に倒産する。
そして私は運命の扉を開けることにしたのである。
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