2009年12月27日

CompleteSystem ver.1.03a download

2009/12/27 version 1.03a


テンプレート版(FileMakerPro 10 以降が必要)



<変更点>

全体的な見た目を変更しています(条件付き書式、スクリプトトリガ、自動サイズ変更の導入)。


■住所録

ハガキの印刷時、宛名などの印刷位置調整が「通常ハガキ横書き」でしか動作しない不具合を修正しました。

天気(Weathernews.jp)情報が自宅タブでも所属住所で検索していた不具合を修正しました。

郵便番号を入力する際、ハイフンのあるなし、全角半角にかかわらず住所をZIPデータからルックアップできるよう改良しました。

追加メールアドレスを登録する際、エラーメッセージをダイアログで表示するよう改良しました。

選択中のレコードを、一覧では色つきで表示するよう改良しました。

検索フィールドに入力後、Enterキーを連打しなくても一度の入力で検索開始するよう改良しました(蔵書、データも同様)。

宛名印刷の際、家族を連名設定することで自動的に宛名入力するよう改良しました。

宛名印刷で、差出人の電話やメールアドレスを氏名とは別のフォントで設定できるよう改良しました。

宛名印刷で、横書きの場合は番地を英数字のままにするよう修正しました。

郵便番号データをメンテナンスできるように改良しました。


■カレンダー

画像一覧のレイアウトを変更しました。

[週]レイアウトにも「画像一覧」ボタンをつけました。

[週]レイアウトで [<<][>>] ボタンの挙動を修正しました。

[月]レイアウトで、予定が多くて表示されない日について、その予定数を表示するよう改良しました。

[月]レイアウトで、今週と選択した日をそれぞれ色分けしていたのですが、意味がない気がするので廃止しました。

[日]レイアウトの「TV」ボタン(その日のYahoo!番組表を表示)が、日付が1〜9日だと動かない不具合を修正しました。

画像リストに、画像削除ボタンを追加しました。

GTDと連携し、期限日に設定されたGTDを表示するよう改良しました。

カレンダー検索に、検索オプションを追加しました。


■GTD

カレンダーと連携し、期限日を設定することでカレンダーに表示させられるように改良しました。


■蔵書

本棚の一覧表示を変更しました(表示数の増加、本棚1冊目の表紙のみ→4冊分まとめて表示など)。

ブックデータの「同著者」を一行づつの一覧から表紙一覧に変更しました。


■データ

ファイル、アルバム、URLからテキストへ移動できなくなっていた不具合を修正しました。

画像データで「フォルダを開く」ボタンを押した際、「参照データのみ保存」で挿入された画像の場合はエクスプローラで開き、実体ごとFMP内に保存した場合は画像をエクスポートするよう改良しました。

動画データで「フォルダを開く」ボタンが動作しなかった不具合を修正しました。また画像データと同様、参照保存ならエクスプローラ、実体ごと取りこんでいるならエクスポートします。

動画アルバムのレイアウト5枚めの1行目の段において、直接再生ができないようになっていた不具合を修正しました。

URL管理でウェブ表示するウインドウに、進む・戻るなどのボタンを追加しました。

ファイル管理、URL管理でも検索できるように改良しました。


■設定

システムステータスに「MacOS/Windows」を表示するようにし、バグ報告メールに自動で動作環境とバージョン情報が入るように修正しました。



タグ:download CPS
posted by tk219 at 16:30 | Comment(1) | TrackBack(0) | ダウンロード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

天皇の政治利用とは何か

小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回

民主党の小沢一郎幹事長は21日午後の定例記者会見で、天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見を「国事行為」と論じていた点について、「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回した。

そのうえで小沢氏は「憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」と述べ、外交要人とのご会見も、内閣の助言と承認に沿って行われるべきとの考えを示した。

また、「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」と述べた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091221/stt0912211532003-n1.htm



太字の部分が、まさに「政治利用」の核心部分です。
分かりやすくご説明いたしましょう。

小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(私の政治資金パーティーへの出席を)喜んでやってくださるものと私は思っております」

小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(民主党員の応援演説を)喜んでやってくださるものと私は思っております」

小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(我が家のトイレ掃除を)喜んでやってくださるものと私は思っております」

小沢氏の台詞自体は、一言一句変えていません。
もしこれらの物言いに対し、当の陛下が文句を言うとする。
天皇「勝手なことを言わないでくれ」と。
ここでまた、小沢氏の言葉を、彼の言った通り一言一句変えずに流用してみましょう。

小沢「君は日本国憲法を読んでるかね? ふん? 天皇の行為はなんて書いてある?」
小沢「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」

天皇「そこまで言うなら、私にだって意見がある。私の考えは……」

小沢(さえぎって)「天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて!」

全ての行為が内閣の助言と承認によって規定されるのであれば、
それを厳守するかぎり、天皇陛下が意志を表明することはないわけです。
だから宮内庁長官が遠回しに代弁するということが起こる。

小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(徴兵制の公布を)喜んでやってくださるものと私は思っております」
小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(皇太子の廃嫡を)喜んでやってくださるものと私は思っております」
小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(皇居の明け渡しを)喜んでやってくださるものと私は思っております」
小沢「天皇陛下にお伺いすれば、(私への譲位を)喜んでやってくださるものと私は思っております」

何にでも使えるでしょう。
これでこの人の言ってることの無茶苦茶さが分かると思います。

戦前の軍部がよく使った手です。
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posted by tk219 at 17:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | 政治社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

国会の地下道など

■今月の東京

生まれて初めて、国会議事堂に入りました。見学ルートではなく、議員会館から地下道を通って、するすると。
国会議員の集団が国会前で信号待ちしてるのなんて、見たことないもんな。
中は迷路みたいになってます。

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●国会の中庭。

表参道のラ・クッチーナ・フェリーチェにて、鬼おろしを購入。
2ケ月待ちで買ったのだが、店員さんによると現在はさらに並んで1年待ちらしい。
これの職人は来年、鬼おろしを作りまくるのであろう。

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●さわると痛い(あたりまえ)。

無事買えたので、近くの「ざこ万」でうなぎ御膳を食べた。うまいぞ。

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●これで1300円。江戸風なのでやわらかいです。

その後は池袋にちょっと立ち寄ってコーヒーご馳走になったりして過ごす。
夜は新宿の「麺屋武蔵」という店に行ってみた。
さほどラーメンの好かん私であるが、東京に来るたびに何か行ったことのない店に行って一度はラーメン食うというのが習慣になってきている。
食べたのはつけ麺である。

これはどうも駄目だった。
店員が何かの拍子に「ショエヤオラ!!」みたいな意味不明のおたけびをあげるので、うるさい。
しかも「ショエヤオラ!!……(普通のテンションに戻って)ラーメンあがりまーす」みたいな感じ。
聞いてて馬鹿馬鹿しくなってくる。

さらに食べながら気づいたのだが、もしかすると私はつけ麺があまり好きじゃないのかもしれない。
ざるそばやソーメン好きだから、きっと好きだろうと思い込んでいたんだが。

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●少なくとも、私には塩辛すぎた。

翌朝は新宿行って、鍵山さんに朝食をごちそうになって、ひとりになったのが10:30。
次の予定は、この新宿で13:00。
2時間半ある。
今だ!と思って新宿から築地へ急行。中央卸売市場の場内に入った。
大和寿司とか寿司大とかの異常な並びっぷりを呈しているとこには目もくれず、その隣の「江戸川」へ。
そもそも朝食を食べているので、空腹度5%くらいしかない。
そんな状態で3500円の寿司を食べるというのも、これまた馬鹿馬鹿しい。

江戸川の「深川丼」ならお茶漬けくらいの量しかないので、ちょうどいいんである。

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●深川丼に味噌汁つけて、990円。

ところが食べ始めて気が付いた。
丼も味噌汁も「あさり」だということに。
まさに『孤独のグルメ』の井の頭さん状態である。

ついでに、築地本願寺に駆け足でお参りしました。

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2009年12月16日

高嶋哲夫『乱神』の時代


高嶋哲夫『乱神』(幻冬舎刊)は、鎌倉時代の元寇を題材にしています。
文永の役の恐怖さめやらぬ博多に、十字軍の騎士たちが漂着するという英雄譚です。

この時代については、へえーと(私が)思ったことがいくつかあります。

■中世の通貨について

本格的な鉱山開発や精錬法が確立するのは16世紀以降のことで、それまで金銀の貴金属は贈答や仏像、工芸品の制作に用いられるだけでした。
為政者による通貨の鋳造・発行も行われておらず、この頃の流通通貨とは、大陸から輸入された、1枚1文の銅銭のことです。

銭は10文で1疋、100疋で1貫と勘定します。つまり1貫で銭1000枚。

高額貨幣は存在しないので、銭は中央の穴に紐をとおしてひとまとめ。
非常にかさばります。
銅銭1枚が3.5グラムほど。一貫となると3.5キログラムになります。
現金は100文をたばねた一結と、1000文をたばねた一連とよばれる「さし銭」で取引しました。
一連では100文ごとに結び目をつくっておくのですが、正確に100文づつということはなく、96〜97枚であっても100枚と見なしました。

一般に米1石が銭1貫といわれ、現代に直して米10キロ=5000円と仮定すると、1貫文は75000円と比定できます。
しかしこれを清酒で換算すれば1貫文はおよそ15万円となり、大工の日給で換算すれば1貫文は30万円となってしまいます。
適当に考えて、一貫は15万円から20万円ほどでしょう。

余剰の資金は借上、土倉などとよばれる金融業者が預かり、これを運用するなどして管理しました。

■元軍の船

近年、北九州の沿岸海底から、「蒙古碇石」と呼ばれる長柱状の石材が数多く発見されています。
花崗岩でできており、このタイプの石は朝鮮半島や中国大陸南東部で産出されます。
発見されたものは、一番大きいもので長さ13メートル、重さ170キログラムほど。
これほどの碇を積むとなると、長さ40メートルを超える大型船になるでしょう。

当時、造船が盛んだったのは福建省泉州でした。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』によると、『船体は二重張り、甲板は1層で、甲板には多数の船室がある。マストは4本で、倒すことのできる補助マストが2本。船倉は頑丈な板で幾つかに区画され、仮に船体の一部が破損しても,隣房には浸水しない』。
おそらく水夫も含めて、船は泉州の貿易商人が提供しました。

フビライは,弘安の役に先立つ1279年、中国揚州、湖南、泉州、広州と半島の全羅道、慶尚道に造船命令を発しました。
かくして中国船は南宋より降った10万人の江南軍、高麗船は高麗と蒙古による35000人の連合軍を輸送します。

『太平記』を読みますと、
「大舶舳艫を双て、もやいを入て歩の板を渡して、陣々に油幕を引き干戈を立双べたれば、五島より東、博多の浦に至るまで、海上の四囲三百余里俄に陸地に成て、蜃気爰に乾闥婆城を吐出せるかと被怪」
(大船がずらりと並び、船と船を板で繋ぎ、自由に渡れるようにしてある。陣営毎に油幕を引き、矛を立ち並べ、五島列島より東の博多海岸に至るまで、まるで海上三百余里が突然陸地となったようで、まるで蜃気楼が起こっているのかと怪しまれるほどである)

という、日本側から見れば、まことに恐懼すべき状況でした。

■「神風」の間違い

1,武士は個人戦法、元軍は集団戦法で、戦術的・文化的に大人と子供ほどの違いがあった。
2,元軍は手榴弾や地雷のようなものまで使うのに、武士の武器は太刀のみだった。
3,元軍はモンゴルだけに騎馬兵で、武士は徒歩での突撃だった。
4,日本絶体絶命の状況でたまたま台風がぶつかり、偶然日本は助かった。

全て間違いです。
元軍は海から攻めてきたんですから、まず地雷は関係ない。
そんなの埋めたら、自分たちが侵入できなくなってしまう。
また水や飼葉のことを考えれば、兵士分の馬を持ってくるのは難しい。

台風が「神風」となったという人がいますが、逆に言うと、なぜ元軍はわざわざ生活困難な船上に留まっていたのか?
普通に考えれば、上陸して敵を蹴散らしてすぐに上陸地点に陣地を敷き、そこから侵攻開始するはずです(ブラッド・ピット主演の映画『トロイ』を思い出してください)。

元軍は6月初めに博多の志賀島に上陸し、そこから7月初めまで戦いは続きます。
1ヶ月以上戦っていたのに、元軍は船上にいて、台風にやられたという。
勝ってたなら、こんなことはありえません。
日本の武士のせいで、船に押し込められたままだったんでしょう。

あとは、日本の何もしてない公家や寺社仏閣が「俺たちが祈祷で神風を呼んだのだ」と一席ぶった。
いつの時代も、戦わない者ほどやかましいものです。

■鎌倉武士の強さ

幕府は武士たちに武芸を奨励したが、中でも弓馬の芸こそが至上とされました。
世界的に見れば、日本の武士は「重装弓騎兵」となります。

和弓の定寸は7尺5寸(約2.3メートル)で、矢の長さは12束(手で握ったときの幅の12倍。約92センチメートル)が標準。
ヨーロッパのロングボウが大きくても2メートルほど。

また和弓は両面を削った木に2枚の竹をはぎ合わせて靭性を確保してあり、さらにその竹は炭化されていたから、より強い弾性が得られる素材となっていました。

源為朝の弓が8尺5寸、矢の長さ15束、8人張りの強弓であったという話があります。
その一矢は大鎧を着た武者を3人貫通しました。
伝説だから大げさだとしても、その威力と射程距離の長さは、世界随一だったでしょう。

8人張りとはいかずとも、5人張りといって、4人が弓を曲げてそこに1人が弦をかけて作ったものは普通に存在したようです。

長弓を自在に操るには数年におよぶ訓練が必要ですから、つまりは大の大人にそういう訓練をゆるす社会でなければなりません。
通常、騎兵は経済的・訓練的に問題が多く、全軍の5%も用意できれば良い方です。
日本以外のどこの国でも主戦力は歩兵であり、騎兵は後方に回り込むなど機動力をもって補助的に用います。

ところが鎌倉武士は、全員が、
「長弓による長距離攻撃」+「騎兵の機動力」+「重装備による防御力」+を持ちます。
初めてやってきたアウェイ側(元軍)にしてみれば、地形に熟知したホーム側(日本)にアウトレンジで攻撃され、接近したらしたで、全員が弓を太刀・槍に持ちかえて白兵戦ができる。
しかも大軍勢。
これでは元軍に、勝てる要素がありません。

■武士だって名乗らない

元寇の様子として、よくあるのが「日本の武士がひとりづつ名乗りをあげる間に、元軍が集団で襲う」というもの。
鎌倉武士というと一騎打ちのイメージがありますが、そもそも一騎打ちは名誉の問題です。
武士は、相手も同じ武士でないと一騎打ちしません。
源平合戦のころより、奇襲攻撃、集団攻撃は当たり前のように行われていました。

しかし弱小の御家人が恩賞にありつくため、蛮勇をふるって一騎打ちをしかけることはありえるでしょう。
元寇の際に武士が名乗りを上げたのは、元軍にではなく、味方同士で名乗り合って恩賞請求の証人となってもらうためです。

■当時の鎌倉について

武家の都・鎌倉は20万もの人口を抱える大都市で、このとき世界の五指に入るべき繁栄を誇っていました。
鎌倉入りのルートは「鎌倉七口」といって、極楽寺、大仏坂、化粧坂、亀ヶ谷、巨福呂坂、朝夷奈、名越といった切通し。
鎌倉は南の海をのぞき、三方が山に囲まれた要害の地です。
そこで山や丘を切り開き、「切通し」と呼ばれる道を掘削しました。

かつては京都からの表玄関としては、他に海岸に沿って歩く稲村ヶ崎ルートがありました。
しかし波濤による浸食や、岩壁の崩壊で危険となり、この頃にはあまり使われなくなっています。
そこで稲村ヶ崎の手前、七里ヶ浜から谷に沿って入って極楽寺に達し、そこの切り通しを抜けて由比ヶ浜の目の前に出る、という道筋がもっとも難のないものだったでしょう。
そこからは若宮大路を北上して鎌倉に入ることができます。
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posted by tk219 at 15:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

親はウザいと言うけれど

世の10代は言う。「なぜ親はあんなにうざいのか」と。

子のために日々心を砕き、また無償の愛をささげている親に対しあまりに無体な物言いだとは思うが、ただ子が世間知らずで苦労知らずで愚かゆえとも言えない。
親の物言いにだって問題はある。
わかりやすく言う。まず親の例を書く。

「最近、学校はどうだ」
「別に」

「勉強をちゃんとしているか」
「やってる」

「今しかできないことがあるんだから、ひとつひとつの出会いを大切にして、ちゃんと勉強しないといけないぞ。わかってるか」

「わかってるって」

「なんだかんだ言って、世間は学歴でしか人を見ない。変なクラスメートとはつきあうな。おまえは勉強だけしてればいいんだ。おまえを思って言ってやってるんだ。とにかく勉強しろ!」

「あーはいはい」

→自室に逃げ込む。

これを逆にして言い換えてみよう。
子供にこう言われたら、どう思うか。

「最近、会社はどうよ」
:これくらいは、まだいい。

「仕事、ちゃんとやってんの?」

:こうぶしつけに言われると、どんな大人でもムッと来るだろう。

「今しかできないことがあるんだから、ひとつひとつの出会いを大切にして、ちゃんと仕事しないといけないよ。わかってる?」
:いや、重々判ってはおるんですが。改めて言われても。

「なんだかんだ言って、世間は地位でしか人を見ないよ。変な同僚とはつきあわないで。父さんは仕事だけしてればいいんだよ。父さんを思って言ってあげてるんだからね。
とにかく仕事しろよ!


あーはいはい、である。
早く風呂にでも入って、布団をかぶってふて寝のひとつもしたくなるであろう。

いくら話題がないからといって、漠然とした、それでいて解答に努力の要する質問をするからいかんのである。
もしシャレの効いた子供であれば、こう言い返してくれるかもしれないが、子供は子供であるからそうもいくまい。
というか子供がこんなこと言いだしたら、親はブチ切れてしまうかもしれないな。

じゃあ親は、自分で悟るしかない。
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posted by tk219 at 20:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

昨日の『坂の上の雲』を観て

昨日も夜8時前には、テレビの前でそわそわしてました。
なんだか、加藤剛の体調があまりに悪そうで、彼が陸奥宗光やったほうが良かったんじゃないかと思いました。

で、昨日は川上操六と陸奥が詐術を弄して朝鮮に大兵を送り込み、明治天皇と伊藤をだまして日清戦争へと突入していく過程が語られていました。
あくまで私のイメージですが、日本の軍人はほんと、これのくり返しですね。
最高司令官の意に従わない。
しかも陸軍と海軍が同等なんていうごまかしをやってるものだから、日清日露と戦争に負けなかったことが災いして、海軍が「次はアメリカだ」とやってしまった。
(山県が生きてる間は良かったように思います)
大陸での戦争を解決するのに、ハワイを奇襲してどうするんだという話です。

ハルノートがどうこう言う人も多いですが、これは今の民主党の普天間基地問題と似たような話だと思いますよ。
つまり、「会話になってない」。

民主党が「政権交代したので、これまで話し合ってきた移転については仕切り直しましょう」とか、「県外ではどうか」とか言うのは構わないんです。
ではなぜ鳩山は「Trust me」なんてオバマに言ったのか。
そして県外移設を言うのなら、一体どこの県なら国内は解決するのか。

伊藤博文は平和主義者ではありますが、リアリティのある政治家でした。
やるなら躊躇なく勝たねばならんということが分かっている。
政治家にとって戦争は「やりたくない」ものであって、「しない」ものではありません。

戦争やるぞという思想が戦争を呼び起こすことは、もちろんあります。
しかし「絶対に戦争しません」という思想が戦争を起こすこともあるんです。
つまり「私は攻撃されても絶対に反撃しない!降伏します!」と叫ぶのは、早く攻撃してくださいと言ってるのと同じです。
これはこれで戦争を望んでいるんです。
(活動家がこれを叫ぶのは、それが政府や世論への圧力になる以上は大いに結構です)

アメリカ人を将軍にして、ドイツ人を下士官にして、日本人を兵士にして……みたいな話がありますね。もしかしたら日本人は、永続的に才能を引き上げるトップダウンのシステムを作れない民族なのかもしれない。ですんで、憲法9条の問題については、現在のもめてる状態がベストなのかと思ったりもします。
それはおいといて。
しかし政治家がリアリティのないことを叫ぶのは、卑劣というべきです。

鳩山が「信じてくれ」と言ったはしから、「沖縄県民のために」移転を見送るといってアメリカをあざむくのは、責任を沖縄県民に押しつけるのと同じです。
なぜなら、もしこれで日米関係に明らかな不利益が出た場合、感情として「沖縄県民のせい」になってしまうからです。

一気にレベルを下げた例えになりますが、嫁姑の問題が起こっているとして、夫(息子)に求められるのは嫁と姑の善悪をジャッジすることではありません。
また嫁に対して「母さんがこうしてほしいと言ってるから」とか、姑に「妻がこう言ってるから」と訴えることでもない。

この場合、男に求められるのは「自分はどうしたいか」です。
鳩山という人間は、日本をどうしたいんでしょうか。

すいません。私自身は何を言いたいのか、着地点を見失いました。
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posted by tk219 at 15:33 | Comment(0) | TrackBack(2) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

FileMaker10入手

今さらですが FileMaker Pro Advanced 10 を入手しまして、スクリプトトリガと条件付き書式にはまりこんでます。

タグ:diary filemaker
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2009年12月10日

明治30年の神戸

先日蔵書の整理をしたのですが、大学生の頃に集めた古地図がどっさり出てきました。

あーあったあったこんなの、と感慨にふけりつつ、そのうちのひとつをご紹介してみます。


以下は「明治三十年 神戸市図(図は旧字体)」というもので、

・明治30(西暦1897)年3月25日印刷、定価10銭

・著者は「大阪府平民」奥川寅之助氏、大阪西成郡の方です。

・発行者は神戸市多聞の岩本郁文堂、代表は「兵庫県平民」山川鶴吉氏、神戸市元町の方です。


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この地図の中から、現在の三ノ宮駅周辺を拡大(角度は上が北になるよう修正しています)。


091210_kobeM30.jpg


これじゃよくわからないので、現在の地図を。


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まだよくわからない人のために。


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1:生田神社

2:兵庫県庁

3:庭園(現在の東遊園地公園?)


Wikipediaによると、


1868年外国人居留遊園の名称で開園した日本で最初の西洋式公園である。開園当時は外国人専用であった。公園内には、ボウリング発祥の地の碑・近代洋服発祥地の碑などの各種の記念碑がある。また、慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りといった阪神・淡路大震災関連のモニュメントも、公園内にある。毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている。また、毎年12月におこなわれる光の祭典「神戸ルミナリエ」では、東遊園地のグラウンドが終端の会場となっている。なお東遊園地の「遊園地」の名称だが、今日の日本語での一般的な遊園地の意味とは異なり、「公園」と同義で使われている。この公園の名称については当初より「内外人公園」など様々な呼び方がされていたが、1922年に「東遊園地」と呼ばれるようになった。旧居留地の東に位置することが名称の由来となっている。

とあるので、おそらく3は東遊園地公園でしょう。



それにしても驚くのは、海岸線が全く違うことですね。

もともと山と海にはさまれ、東西に細長かった(現在だってそうだが)神戸市が、山の土を削って造成しては、それを海に持ってって埋め立ててきたわけです。

それがポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港として誕生してきました。


阪神高速3号神戸線(緑の太い道路)あたりに沿って、北東のHATゆめ公園のあたりまでぐいっと削り取ると、かつての海岸線になるのではないかと思います。
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2009年12月09日

自動で日時の判るファイル名をつけてバックアップする

これはファイルのバックアップを取る際、自動でファイル名にタイムスタンプをくっつけて保存しようというものです。

例えば「CPS.fp7」のバックアップを2009年12月09日の18時30分40秒にとるとしたら、勝手にファイル名を「CPS_2009129183040.fp7」にして保存しましょうという代物。

まずファイル名を計算します。
フィールド名を「backup_filename」にしたとして、
計算式を、

"(任意のフォルダ)/CPS_" & Filter(GetAsText(Get(タイムスタンプ));"0123456789") & ".fp7"

とします。

で、スクリプト。



変数を設定 [$bck; 値:backup_filename]
名前をつけて保存 [「$bck」;最適化]
If [Get(最終エラー)]
全スクリプト終了
Else
カスタムダイアログを表示 [ (任意のフォルダ)に [ " & backup_filename & " ] を保存しました。"]
End If



で完了。
(任意のフォルダ)というのは、そのまま入れるんじゃなくて、
そちらの環境に合わせて書き換えてくださいという意味です。

こんな感じ。

091209_cpsbck.jpg

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2009年12月08日

山浦真雄・清麿兄弟とか

某所に放置されていた蔵書整理のため、久しぶりに父と会った。
二人で黙々と作業してたのだが、ふと父が「こないだ、写真が出てきたんや」と言う。

何かと聞くと、大阪のとある大寺にある墓の写真で、時代は明治の中頃。
今は剥落して読み取れない墓石が、写真だとはっきりと読めたらしい。

というのも晩年歴史に凝っていた祖父が、江戸時代の我が一族の墓所をやっと突き止めたと言ってたのだが、肝心の墓銘が読めないので父も私もずっと懐疑的だった。
しかし写真の発見によって、祖父が正解にたどりついていたことが判った、という話なのだった。

その流れで父が、その周辺の話をぽつぽつ話しだした。
いわく、千葉道場で免許皆伝を受けていたとか、二条城で岩倉具視を面罵したかどで「あいつの首を持ってこい!」と激怒され、何をどうやったか逃げ切った(?このあたり不明。でも死んでたら私は生まれてない)とか、そのせいで維新後のおいしい再就職にありつけなかったとか。
結局、ド田舎で田んぼ耕して暮らしてた。

また父の母(私にとって祖母)の方をたどれば、私の祖母は山浦真雄の孫娘で、真雄は弟の清麿と一緒に刀鍛冶をやってたのだが、佐久間象山の密書を持って薩摩へ隠密行をやってたとか。
そういう話が山のように出てきた。
どうやら父は、そういうこと話せる相手に飢えていたらしい。

山浦真雄については以下を。
http://www.city.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/yamaura_taku.html
http://www.e-sword.jp/sale/0870_3008syousai.htm
http://w1.avis.ne.jp/~i-junko/oinomezame.htm

以下は関連本。

隆 慶一郎 ¥ 620
心優しきヒーロー
気軽に読める決闘小説
隆慶一郎の源流
細かいところには目を瞑って・・・
仕事の醍醐味


 
斎藤 鈴子 ¥ 4,200


 
竜野 咲人 ¥ 1,029


他に、吉川英治『山浦清麿』というのもあります(昭和16年刊)。



あと私の高校からの親友のひとりが、こちらに作品を載せてます。
面白い(と私は思ってる)ので、読んであげてください。

角川書店 ¥ 680
祝!連載決定!
「ゆるいな」「ああ」
損はないかと
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2009年12月04日

どん引きされても面倒くさいってあるね

たまに、自分でも「それは面白くないだろう」と、引いてしまうような冗談が口をついて出るってありませんか。

私の場合はですね、別にのろけるわけじゃないんだが、嫁のつくるごはんが大層好きなわけですよ。
だから喧嘩してもこっちの立場はめちゃくちゃ弱い。
だってごはん作ってくれなくなるからね。

遠出したりして帰りが夜遅くなるときなんて、「家に帰ればごはんがある!」という一心で飲食店を素通りしていくわけです。
そういう状態だから、私は常々、嫁には「おまえが死んだら、俺は満タンの冷蔵庫の前で餓死する」と言ってます。
「もし死ぬんなら、俺が死んだ翌日に死んでくれ」と。
いや、だめだな。お葬式の手配とかあるから、1週間後だな。みたいなことを冗談で言ってたことがありました。どうでもいい話ですが。

で、数年前の話なんだが、人と話してた時にふっとそれを言っちゃったんですよ。
しかも文脈がめちゃくちゃな状態で。
つまり「嫁に言ってあるんですよ、『自分が死んだ翌日に死んでね』って」。

自分で言ってて、あれおかしいな、ちょっと違うんじゃないそれ、自分が本来言ってたこと、言いたかったこととずいぶん離れてる気がするぞと思ったんですが、言ってしまったものはしょうがない。
しかも相手は明らかにドン引きしている。そりゃそうだろう。こっちだって引くわい。

ところが、「元々はアホなのろけ話じゃないか。訂正するってことはそこから説明すんのか」みたいに思うと猛烈に面倒くさくなってしまい、どうでもいいやと思って訂正しませんでした。
たぶん裏で笑われてるでしょう。
ちょっとあれは怖い人だよ、きもちわるいねって。
それから何年かたちますが、話した相手とは再会してません。ですから訂正するようなチャンスもなかった。

これが十代のころだったら、悔恨の大津波にさらわれてしまって、うわああああって頭抱えて「もうやだ、よーしいっちょ死んでやるか」みたいに思ってたのかもしれない。
でも今くらいの年になると、もううわああああって頭抱えるような恥ずかしい記憶が多すぎて、今さら死ぬに死ねない。

たぶん世の中には「このハードディスクを破壊しないことには、死ぬわけにはいかんぞ」みたいな人もたくさんいるでしょう。恥がつまりすぎてて。
あの日記を読まれるくらいなら、生きてた方がましだとか。

だから生きてりゃいいことあるよなんていうのも、単に死ぬとすごく悪いことがあるっていう意味かもしれない。
でもそれでいいじゃない。

年とるっていいもんですね。



自作のFileMakerテンプレートのデザインをリニューアル中。
毎日これだけやって生きていたい。

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2009年12月03日

鳩山さんの法則

第1条:私はいつでも司法の判断に従って、自らの出処進退を明らかにする。
第2条:司法の判断は私が下す。

第1条:1時間で決める必要があるので、ちゃんとした説明を聞くヒマはない。
第2条:悪いのは、ちゃんとした説明をしない官僚である。

第1条:カップラーメンの値段もわからないような政治家に、国民生活を語る資格はない。
第2条:サラリーマンの平均年収? 1000万円くらいじゃない?

http://www.youtube.com/watch?v=wsFFWWIgrms
http://www.youtube.com/watch?v=46Qw2iT8Iio
http://www.youtube.com/watch?v=7wKbtHcbC_Q
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2009年12月02日

強制ダイエットメニュー

友人と街を歩いていて、そろそろ腹が減ったな、という話になった。

適当に何でもいいや、と一番近い食いもん屋をさがしたんだが、夕飯時でどこも一杯であった。
もうこうなってきたら、空いてればどこでもいい。
そういう話になっておった。

阪急岡本駅の前の坂道をとことこ降りていくと、
某ビル2階の窓に「喫茶・軽食 定食あります」の文字があった。
店内がガラス越しに見えている。

「空いてるみたいだ」
「よし。あそこに行こう」

階段を昇り、その店の前に二人で立つ。
確かにガラスのドアに「営業中」の札がかかっているが、店内は妙に暗い。
そして何よりも、店全体が抗い難い負のオーラを放っている。

「本当に……これでいいんだよな?」
「ま、まあ、いいんじゃない?」

と言いつつ、どちらも先に足を踏み出そうとしない。
するとガラス越しに我々に気付いた店のおばちゃんが、私たちにニッコリ頭を下げた。
開いている飲食店に人間が居るのは当たり前なのだが、その時我々は、正直ホッとした。

入ってみると、他の客はいない。他の店はどこも一杯だったのに………。
客は我々だけなのだから、席は座り放題である。
窓際の一番豪華なソファの席に座ることにした。
座り心地は悪くない。おばちゃんが水とおしぼりを持ってやって来た。

「御注文は」
おばちゃんはさっき、にっこり笑って頭を下げたくせにやる気がなさそうだった。
そう言われて、テーブルに置いてあったポップ型のメニューを見る。

コーヒー(アイス、ホット)
紅茶  (ミルク、レモン)※アイス、ホット選べます
オレンジジュース
カレーライス
親子丼

「これだけ?」

「これだけ」


………これだけ………か。

メニューを裏返してみるが、何もない。シンプルなメニューだ。
窓に貼ってあった「定食あります」はどうなったのだろうか。

「じゃあ、カレー」
「親子丼」
「はい、カレーに親子丼」

おばちゃんはカウンターの方へと帰って行った。
店内を見渡すと、どうやらあまり掃除をしていないようである。
スイッチの消えたテレビの上など、ホコリで真っ白になっている。

振り返ると、背後に大きめの、相当旧式のカラオケマシンが置いてあった。
衛星とかレーザーとかいったものではない、懐かしいカセットテープを使うタイプだ。
曲名を見ると「ラバウル小唄」だの「買い物ブギ」だの、『映像の世紀』でしか見たことないようなタイトルしかない。
ここは戦前でストップしてるのか………? と思った。

すると、おばちゃんが手ぶらでこっちへやって来た。
「お兄ちゃんら、ごめん。カレーできるほど御飯無かったわ。」
「え?」
私たちは顔を見合わせた。
「じゃあ、親子丼で」
「ごめんなー」

カレーができないと言うから親子丼と言ってしまったが、
カレーができない量であれば、それはもう親子丼もできないと思うのだが………。

カウンターを見ると、おばちゃんが親子丼の用意をしているようである。
しかしその動作は、カウンターから上しか見えないにも関わらず、ものすごくぎこちないのが解る。
鍋に鶏肉とネギを切り、割り下を煮始めているようだった。
閑散とした店内から、人通りのある外を黙って眺めていると、カウンターからいやなつぶやきが聞こえてくる。

「アチ! あちゃあちゃ、あちゃあちゃ」
「あっ、しもた!」
「ああ、どないしよう」

お金を取って食事を出す者としては、どうにもあるまじきセリフを連発している。

「あ、あのー………」
「ゴメンな! もうすぐできるから!」
「いや、そうじゃなくて………」

その時、店の電話がジリリリリリン!と鳴った。
アナログ全開のダイヤル式である。ここは戦前の店なのだから当然である。

「え? あ? ど、どうしよ」
おばちゃんが大慌てになっていた。
我々は善人であるから、困った人を見るとほうっておけずに立ち上がった。

「おばちゃん、火を見とこうか」
「え? そう? ごめんなあ」

私たちはカウンターの中に入った。
煮られている材料を見ると、肉もネギも異様にデカい。これは水炊きかと思うほどであった。
まさかとは思うが、親子丼を作ったことがないのでは………。

電話は大したことのない内容だったようだ。すぐに終わった。

「ありがとうな、後はおばちゃんやるわ」
「あー、いや、その……。もうちょっと手伝うわ」
「えっ」
「別にええやろ」
「あ、そーお? ごめんなー」

おいおい! あっさり引き下がりすぎだろ!!

結局我々は、自分で注文し自分で作って自分で食べるという、
超セルフサービスな外食をしてしまった。

それも、御飯半人前というダイエットメニューで。



またこの店に来ることがあるだろうか………。
無いような気がした。
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2009年12月01日

歴史小説『乱神』

来週の12月11日、幻冬舎より高嶋哲夫『乱神』が発売されます。

世界最強の帝国「元」の大軍勢がせまりくる鎌倉時代の日本を舞台に、あっと驚くような「戦士たち」が奮い立ち、御家人を率いて戦う物語です。

http://takashimatetsuo.blog115.fc2.com/blog-entry-137.html

私は歴史上、異なる文化が出会う場所というのが好きで、第一世界大戦が好きなのもそこに理由があります。

で、この元寇というのもそのひとつで、ステンドグラスやサウナといった遠い西洋文化の文物までそなえた大宮殿に住む、元朝皇帝フビライ。
後にそこへは、ヴェネチアからマルコ・ポーロたちがやってきます。
西洋では、キリスト教とイスラム教が激突しています。

そして日本。
元軍が襲来するのは博多近辺で、当時の博多は交易さかんな国際都市でした。

当時の博多住人の中心にいたのは、通事や船頭などを務める唐人です。
これ以前、禅を日本にもたらした栄西は二度目の入宋をへて帰国し、建久六年(1195)、博多に本邦初の禅寺である聖福寺を創建しました。
聖福寺の寺域は宋人百堂と呼ばれた地で、つまりそこには宋人の建てたお堂が百あったということを意味しています。

この聖福寺創建を援助したのが、博多津の張国安ら張一族といわれます。
博多一帯には「張」姓の宋人たちが多く住んでいました。

当時、大陸側の通称窓口となったのは明州(寧波)です。
『乾道四明図経』によると、
「南は則ち閭・広、東は則ち倭人、北は則ち高句麗、商船往来し、物貨豊衍す」。

『文献通考』や『宋史』を見ても、このあたりから倭人の渡航が盛んになっています。
倭人は博多津よりやってきており、逆に博多浜一帯は、「大唐街」と呼ばれる外国人居留地が広がっていました。
さらに博多には、畿内近国の産物も瀬戸内海を経て運ばれてきます。

こうした産物の輸送を統括する組織は、「博多綱首」と呼ばれました。
綱首とは中国人の船頭のこと。
彼らは博多を拠点に商業活動を活発にし、巨万の富を築いたのでした。


そういう背景が、「元寇」のあった頃の日本にはあったんです。
博多の港では日本人だけでなく様々な言語がいりみだれ、身分の別なく大いににぎわっている。そこへある日、水平線を埋め尽くす大船団がやってくる……。

どうです、わくわくしてきません?
私自身はもうたまりませんね。
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